TOTOの創設メンバーであるキーボード奏者の
スティーヴ・ポーカロ(Steve Porcaro)は、ボブ・レフゼッツのポッドキャストに出演し、成功したデビューアルバムに続く2ndアルバム『Hydra』の制作と、『TOTO IV』後にリード・シンガーの
ボビー・キンボール(Bobby Kimball)を解雇したことを振り返っています。
デビューアルバム『TOTO』に続く2ndアルバム『Hydra』ではプログレッシブロックの影響や難解な歌詞を取り入れるなど、TOTOは実験的な試みに挑戦しました。このアルバムはバンドにとって音楽的に挑戦的な作品でしたが、デビュー作のラジオ受けするサウンドとはかけ離れたものでした。
「どのバンドもファーストアルバムは、そのバンドにとってキャリア最高の作品だ。君が思いつく限りのバンドのすべてもファーストアルバムが、そのバンドのキャリアの中で最高の作品のはずだよ。
当時は毎年新しいアルバムをリリースしなければならなかった。毎年だよ。しかもツアーを終えた後にね。家族と過ごす時間はまったくなかった。レコード会社はそんなことを気にしない。“また出してくれ。次のアルバムが欲しいんだ”だよ。
ファーストアルバムが大成功したことで、僕たちは少しうぬぼれていたのか? 確かに。でも、信じてほしい。俺たちは全力を尽くした。確かに少しうぬぼれていたと思う。“僕たちがやったものなら、みんな買ってくれる”と思っていた。
そこには確かに自己満足的な曲もあった。『Hydra』に収録された僕の曲について言えば、“Secret Love”は、メジャーレーベルからリリースされた曲の中で、最も奇妙な2分半の曲だと言えるだろうね。
ある朝起きて、カリフォルニア州ラーチモントにあるカシモフ・ブルテナーという店に電話して、チェンバロ、クラビコード、モーツァルトのピアノを借りたんだ。ビンテージのキーボードやアコースティックのキーボードを全部借りて、とても奇妙な曲のアイデアを思いついたんだ。バンドのメンバーはそれをやらせてくれた。アルバムに入っているよ。
僕らは『Hydra』が大好きだよ。本当に愛していた。少しうぬぼれていたのか?確かに。でも、あまりにも度を超して、うぬぼれない限り、うぬぼれていることが必ずしも悪いことだとは思わない。“Hold the Lines”のような曲はあったか? いいえ。でも“99”はあったし、人々が共感できるような曲や、素晴らしいソングライティングと素晴らしいプロダクションの曲はあった。非常に力強い曲はたくさんあったんだ」
1982年のアルバム『TOTO IV』はバンドに新たな商業的成功をもたらしましたが、その裏では、特に薬物依存症に苦しんでいたリード・シンガーのボビー・キンボールとの関係がぎくしゃくしていました。絶頂期にあったTOTOはキンボールを解雇せざるを得なくなり、スティーヴ・ポーカロは、この決断を「本当にトラウマになった」と語っています。
「正直に言えば、80年代前半にはよくあることだった。言ってみれば、僕たちはみんなパーティーに参加していたんだ。
当時のバンドのリードシンガーであれば、深夜まで飲み明かしたり、その他どんなことをしても、それでも、ライヴをこなせるものだった。
ボビーが他のメンバーがやっていなかったことをしていたわけではない。でも、彼はリードシンガーだったので、彼がパフォーマンスできなくなったとき、問題となるんだ。
本当にがっかりしたよ。僕たちは自分たちの相性の良さを理解していたし、自分たちにぴったりと合うもの、うまくいくものを見つけていたんだ。僕たちは理解し合っていたし、それまでは一生懸命やっていた。理解してほしいのは、それまではスタジオかツアーばかりだったということ。『TOTO IV』を制作し、それが大成功を収めて、その後にツアーをした頃には、みんな疲れ果てていて、休憩が必要だったんだ。
最終的に『TOTO IV』の次のアルバムを作ることになったとき、(キンボールは)悪習が蔓延し、僕たちが望むレベル、あるいは必要とされるレベルのパフォーマンスができない状態になっていた。
結局、リードシンガーを交代しなければならなかったんだけど、僕たちはそれをするのが本当に嫌だった。それはバンドにとって本当にトラウマになったんだ」