
Nick Cave, photo by Ian Allen
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)の
フリー(Flea)はかつて、
ニック・ケイヴ(Nick Cave)の友人を熊の襲撃から守ったという。ケイヴは20年以上前にレッチリを否定する発言をしたとされることについて、現在の考えを語る中で、フリーのことを「全く異なる資質を持つ人間」として称賛しています。またフリーが「トランペット・レコード」を制作していて、ケイヴがその作品に貢献したことも明らかにしています。
ケイヴの言葉とされる以下の発言がここ数十年の間に出回っています。
「私はいつもステレオのそばで“このゴミは何だ?”と言っている。答えはいつもレッド・ホット・チリ・ペッパーズなんだ」
この発言の正確な出所はわかりませんが、20年以上前の発言と言われています。
ケイヴは自身のニュースレター「Red Hand Files」の最新号で現在の自身の考えについてこう語っています。
「25年ほど前、私はレッド・ホット・チリ・ペッパーズについて、軽率で、やや無情な発言をした。悪意があったわけではなく、当時私が人を怒らせるために言っていたような、鼻につくたぐいの発言だった。私はトラブルメーカーで、物事をかき乱すのが好きで、社会の刺激剤となる役割に最も安らぎを感じていた。私の世代のオーストラリア人に共通する特徴なのかどうかはわからないが、この発言は四半世紀もの間、私につきまとっている。この件で最も興味深いのは、私がチリ・ペッパーズについて言ったことではなく、むしろ彼らのベーシスト、フリーの反応である。フリーはFacebookで、私の発言に傷ついたと表明したが、それにもかかわらず、私の音楽は好きだと詳しく述べていた。彼は非常に寛大で心のこもったラブレターをニック・ケイブに書いてくれた。私は彼の言葉に心から感動し、フリ―はなんて品のある人物なのだろうと思った。そして、その時点では完全には理解できなかったが、私は、フリ―がまったく異なる資質、つまり、より高次な人間であると、心のどこかで感じていた。
その後、長年にわたって、私たちのバンドが共演した音楽フェスティバルでフリーに偶然会ったり、ロサンゼルスでライヴを行った際には楽屋で彼に会ったりした。親しい友人になることはなかったが、彼との出会いはいつも楽しく、フリーには誠実で不思議と人の心に響く存在感があった。Push the Sky Awayツアーでは、コーチェラ・フェスティバルでバッド・シーズと一緒に演奏する子供たちの合唱団を、彼が創設したシルヴァーレイク音楽学校から集めてくれないかとフリーに頼んだ。 ウォーレンと私がCarnageツアーを行った際には、フリーに私たちと一緒に“We No Who U R”を演奏してくれないかと頼んだ。 ウォーレンとフリーが、互いを尊重しながら心を込めて演奏する姿は、実に素晴らしい光景だった。
先週、フリーが私に曲を送ってきて、ヴォーカルを加えてくれないかと尋ねてきた。それは彼が制作中の“トランペット・レコード”のための曲だった。曲の内容を明かすことはできないが、それは私が最も大切にしている曲であり、おそらく史上最高の歌詞を持っている。フリーに頼まれなければ決して歌う勇気を持てなかったであろう、非常に尊敬に値する曲だ。水曜日にスタジオに入り、ヴォーカルを録音した。フリーのトランペットと私の声が織りなす美しい会話のような曲に仕上がった。憧れと愛に満ち、曲はそれぞれの個々の要素を超越し、和解と謝罪の形を取りながら、ゆっくりと進化する宇宙的なダンスとなった。
私の友人でアーティストのトーマス・ハウザーゴが、フリーにまつわる話を聞かせてくれた。数年前、フリーと彼の娘、トーマス、そしてガイドの3人がヨセミテの奥地をハイキングしていた。5日間ハイキングを続け、うっそうと生い茂る森の中の小道を歩いていたところ、目の前の小道に熊が現れた。全員が凍りついた。熊は彼らから10フィート(約3メートル)ほどの距離にいた。赤みがかった色をした大きな黒熊だった。トーマスとガイドは、熊が襲ってきた場合に備えて、身を守るためにテントのポールを握りしめた。フリーは一歩前に出て熊の前に立ち、熊に話しかけた。自分たちが熊の縄張りにやってきた訪問者であることを認め、熊への愛情を伝え、道を進む許可を求めた。すると熊は道から外れ、彼らが通るのを許したんだ」