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サミー・ヘイガー、愛称“レッド・ロッカー”を授けてくれたファンを追悼 逸話を語る

2025/03/12 18:23掲載
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Sammy Hagar - Kayla Oaddams/Getty Images
Sammy Hagar - Kayla Oaddams/Getty Images
ヴァン・ヘイレン(Van Halen)サミー・ヘイガー(Sammy Hagar)の愛称“レッド・ロッカー”は、あるファンとの出会いから生まれました。ヘイガーは、その名を授けてくれたファンのことを忘れたことはなく、交流が続いていましたが、先日、そのファンが亡くなりました。ヘイガーは追悼の意を表し、“レッド・ロッカー”誕生の逸話を自身のSNSアカウントで語っています。

「1976年、俺はちょうど『The Red Album』(1977年ソロ・アルバム『Sammy Hagar』)をリリースしたばかりだった。ワシントン州シアトルで、このアルバムを引っさげての最初のコンサートを行った。(このアルバムの)オープニング曲は“RED”だった。

翌朝、ホテルをチェックアウトしようとすると、この写真に写っているジョン・プルーナーという男性に呼び止められ、コンサートの批評が載った新聞にサインをしてほしいと頼まれた。彼は俺に“レッド・ロッカー”とサインしてほしいと頼んだ。それがレッド・ロッカーの始まりだった。

ジョンは、ファンがレッドヘッドになる前から、おそらく最初のレッドヘッドだった。彼は、俺を追って国中を回って、どこにでも現れた。俺は彼と親しくなり、その後、カボでの誕生日パーティーで、彼は100公演以上のチケットを買っていたことを俺に見せてくれた! 俺は、もう二度と俺のライヴのチケット代を払う必要はないと言い、彼に生涯有効のゴールドパスを渡した。その後、彼は100回以上のライヴを観にきてくれた。

ジョンは10年以上前から健康を害していた。それでも彼は車椅子で可能な限り多くのライヴに足を運び続け、俺はいつもステージの横や可能な場所に彼のためにスペースを確保していた。彼が病院に入院していてライヴに来られないとき、俺がステージから彼にFaceTimeでエールを送ったのを覚えている人もいるかもしれない。彼の友人であるジョンもこのライヴを観にこれなかったが、彼を気遣い、これが実現するようにしてくれた。彼に神の祝福がありますように。

数日前、元祖ナンバーワンのレッドヘッドが亡くなった。ジョン、君がいないのは寂しいけれど、ライヴは君なしでも続くよ。君がそう願っていることは分かっているからね。安らかに眠ってくれ、友よ。そして、エディに俺から大きなハグを伝えてくれ」