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スティーヴ・ルカサー TOTOを理解する上で欠かせない曲/J.ポーカロにしかできないことを最もよく表しているTOTO曲/最多セッション日など語る

2024/08/30 15:44掲載
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Steve Lukather
Steve Lukather
TOTOスティーヴ・ルカサー(Steve Lukather)は、vultureの新しいインタビューの中で、「TOTOを理解する上で欠かせない曲」「ジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro)にしかできないことを最もよく表しているTOTOの曲」「セッションの依頼が来ることを期待していたが、来なかったアーティスト」「最も多くのセッションを行った日」について語っています。

■TOTOを理解する上で欠かせない曲

「それは難しい質問だ。俺らの本質を最もよく表しているのは“Rosanna”だろうな。あの曲では誰もが輝いている。音楽的にもアレンジ的にも、俺たちの真髄とも言える曲だ。大ヒットしたし、誰もが知っている。もし俺たちの楽曲群の中から1曲だけ選ばなければならないとしたら、“Rosanna”がそれに該当するかな」

■ジェフ・ポーカロにしかできないことを最もよく表しているTOTOの曲

「何でも聴いてみてくれ。彼がいくつか弾くたびに魔法が起こった。このような特別な魔法を持ったミュージシャンもいる。それは学ぶことはできないし、買うこともできない。ジェフは魔法のような人間だった。彼が部屋に入ると、部屋が明るくなった。彼はみんなの演奏を良く聴こえるようにしてくれた。一緒に仕事ができたことを光栄に思う素晴らしいミュージシャンはたくさんいるけど、ジェフは神に祝福された人だった。それしか言いようがない。ダイナミクス、グルーブ、センスの素晴らしい解釈者だった。彼から多くのことを学んた。だからこそ、彼は最も引っ張りだった。彼がセッションに参加すると、そのセッションがより良いものになるからね。彼はいつも俺の最高のものを引き出してくれた。他のセッションでも、彼は何かについて俺に視線を送ったり、ウィンクをしたりした。俺は彼の言いたいことはわかったし、彼のボディランゲージは俺にも理解できた。彼がいなくて寂しいよ。もう32年も経つ。俺は時が流れたのを忘れて、自分自身を見て“うわー、この白髪の男は誰だ?ああ、それは俺か”と言っている。全部本物の髪だよ。誰がこんなカツラを買うんだ?」

■セッションの依頼が来ることを期待していたが、来なかったアーティスト

「ピーター・ガブリエル。彼が歌うどんな曲でも、ギターで何かしら応えてみせるよ。高校時代からジェネシスの大ファンなんだ。『Selling England By the Pound』は俺にとって無人島レコードなんだ。あれで恋に落ちて、それからいろいろと聴くようになった。後期のジェネシスも大好きだよ。フィル・コリンズの大ファンなんだ。彼らのことが大好きなんだよ。俺にとって大きな存在なんだ。スティーヴ・ハケットのギター・プレイは名人芸の域に達しているよ」

■最も多くのセッションを行った日

「数日間になるけどが、やはり(マイケル・ジャクソン)『Thriller』のセッションだろうね。 あのアルバムの最初のセッションから参加していた。 ポール・マッカートニーとの“The Girl Is Mine”だった。 その場にいることができて、とても感激したよ。部屋にいて、ポールとリンダ・マッカートニーが入ってくるのを見たときは、本当に魔法のようだった。 曲はちょっとくだらないけど、その場の雰囲気は信じられないほど良かったよ。 彼らはいくつかのコードを僕たちにいい、俺たちはそれを取り入れた。クインシー・ジョーンズが音符を全部書き出して僕たちに読ませるようなことはなかった。どちらかというと“何ができる?”という感じだった。

“Human Nature”もそうだった。スティーヴ・ポーカロが書いた曲で、もともとはギターはなかった。クインシーは“これをファンキーにしてくれよ。ファンクがほしい!”と言っていたので、俺は“ああ、いいね、Q”と答え、その場でギターパートを思いついたんだ。何でもないことだった。それが俺たちが毎日やっていることだからね。

“The Girl Is Mine”をやった後、ポールは俺とジェフを気に入ってくれて、彼の映画『Give My Regards to Broad Street』に出演することになった。俺たちは“うわぁ、信じられない。ポール・マッカートニと一緒に映画に出られなんて”という感じだった。ポールは俺らを海外に連れて行き、撮影スタジオに行った。

そこで“何があっても、ポールにビートルズのことは話さないように”と言われた。ジェフを見て“えっ、ビートルズのことは何も言っちゃいけないの? 何も?”と聞いたら、 彼は“絶対にダメだ”と言っていた。それから撮影のためにとんでもないメイクをした。たまたまリンダの隣に立っていた。俺はリンダが大好きだった。彼女のことを悪く言うヤツはクソくらえだ。僕たちは仲良く立ち話をしていたんだけどが、俺はついに言ってしまった。“ビートルズのことをポールに何も話してはいけないと言われんだ。俺たちはがっかりしたよ。それが俺たち全員が演奏する理由だからね”。彼女は“誰がそんなこと言ったの?”と言ったので“マネージャー”と答えると、“そんなの馬鹿げてる。ポールはビートルズの話をすることが大好きよ。彼にビートルズのことを聞いてみたら?」と言ってくれたんだ。

メロトロンは接続されていた。それで俺は身を乗り出して“Strawberry Fields Forever”のイントロを弾いた。ポールは振り向いてくれたので、失敗しなかったことを神に感謝した。彼は“なかなかいいね”って言ってくれた。俺は“ああ、この曲が最高だからさ”と言った。それから俺たちは話し始め、俺は“やってやろうじゃないか”と思い、“Please Please Me”を弾き始めた。彼はすぐに飛びついた。それからバンド全員と撮影スタジオのスタッフが飛び入り参加した。部屋には50人くらいがジャムっていたと思う。俺はレノンのパートを歌い始めた。最後には会場は大きな拍手に包まれた。彼は満面の笑みを浮かべていた。すごい瞬間だと思ったよ。感無量だよ。話がそれたね。

つまり、俺にとって多作な日とは、何かを演奏して、しばらくしてラジオでそれを聴いたときに感じるものなんだ。俺たちは“俺たちがやったんだ。見ろよ。またヒットしたよ”という感じなんだ。一度に(ビルボード誌のチャート)“Hot 100”に何曲ランクインできただろう? 1979年から1985年にかけての時代が俺のピークだった。毎日セッションに行き、年間100枚以上のレコードに参加していた。スタジオの廊下を歩いていると、誰かが“おい、この曲にソロをやってくれないか?”と声をかけてくる。“ああ、いいよ。アンプを引っ張ってくてくれ!”と答える。そして、ドン、ドン。これでもう、同じ日の3回目のセッションだ」