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10ccのグレアム・グールドマン語る ゴドレイとクレームが脱退した時の対応に後悔/10ccの名前の由来/10cc創設メンバー4人の再結集ほか

2025/01/24 18:42掲載
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10cc
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10ccグレアム・グールドマン(Graham Gouldman)は英ガーディアン紙の企画でファンからの質問に答えています。

その中で「ケヴィン・ゴドレイとロル・クレームが脱退し、グールドマンとエリック・スチュワートが10ccとして活動を続けることになった」ことについて、「彼らを行かせて、彼らがやっていたことを終わらせてから、1年後にまた一緒になるべきだった」と後悔を語っています。

このほか、「10ccの名前の由来について明確な答えを教えて」「70年代初頭に10ccとニール・セダカが一緒にアルバムを作っていた時のことについて」「I’m Not in Loveを作ったとき、この曲がどれほど素晴らしいか気づいていた? 」「ラモーンズのアルバム『Pleasant Dreams』をプロデュースした時のこと」「WAXのパートナー、アンドリュー・ゴールドとの思い出」「10cc創設メンバー4人の再結集の可能性は?」などについて答えています。

Q:10ccの名前の由来について、明確な答えを教えてください。

「バンド名の由来について長々と説明するのに飽き飽きしていたところ、ある人が“平均的な男性の射精量は9ccだ”と教えてくれた。僕らは1cc多かったので、それをバンド名にしたと言い始めたんだよ。本当の話なのか?さあ、どうだろう。でも、今ではそういうことになっているよね」

Q:1970年代初頭に10ccとニール・セダカが一緒にアルバムを作っていたなんて、考えただけでも驚きです。どんな感じだったのですか?

「ニールは低迷期で、リーズ近郊のバトリー・バラエティ・クラブで演奏していた。それでマネージャーが、それほど遠くないストックポートに来てレコーディングをしようと提案したんだよ。僕はリーズのクイーンズ・ホテルに行き、ニールはピアノのある部屋にいた。彼は素晴らしい曲の数々を僕に聴かせてくれた。僕はそれらをカセットレコーダーに録音して持ち帰った。彼は様子を見るために2、3曲録音するつもりだったけど、結局あっという間にアルバム1枚分を録音してしまったんだ。ニールはとてもプロフェッショナル。ほとんどの曲で、彼はキーボードを弾きながらリードヴォーカルも担当し、その後に僕がベースなどをオーバーダビングしたりしていた。ニールは素晴らしかったよ。彼は自分の曲にとても感情移入していた。大ヒットした“Solitaire”を録音した後、それを再生したとき、彼は“なんてことだ、僕がこれを書いたのか?”と言っていたよ」

※このアルバム『Solitaire』をきっかけに10ccは結成される。詳しくはこちら

Q:10ccが「I’m Not in Love」を作ったとき、その曲がどれほど素晴らしいか気づいていましたか?

「レコーディングしていたとき、コントロールルームの明かりを消して、床に横になって自分たちで曲を再生していたので、この曲が素晴らしいことはわかっていたよ。商業的な可能性についてはわからなかったけど、そういうことを考えたことはなかった。今のように、シンセやサンプラーがすぐに音を作れる時代ではなかった。何十ものヴォーカルパートを作り、テープループを作らなければならなかったけど、曲が発展していくのを聴くのは本当に楽しかったよ」

Q:あなたはラモーンズのアルバム『Pleasant Dreams』をプロデュースしましたね。どのような経緯でプロデュースを依頼されたのでしょうか?また、バンドのダイナミクスをどのように見つけたのか? ラモーンズの中で一番のお気に入りは誰だったのでしょうか?

「マネージャーに依頼されたとき、最初に僕が尋ねたのは“なぜ僕なのか?”ということだった。彼らは僕が書いた曲、例えば(ホリーズの)“Bus Stop”や“For Your Love”のような曲が好きで、自分たちの曲もそのような感じになるだろうと考えたのだと思う。でも、僕が思うに、彼らが本当に気に入っていたのは、僕たちがブリティッシュ・インヴェイジョンに関わったことがあるバンドだっただからだと思う。

アルバム制作中に彼らが仲たがいしていたという話を後から聞いたが、僕がプロデュースしている時には気づかなった。制作は混乱するだろうと思っていたけど、実際にはまったくそんなことはなかった。彼らはとても時間に正確でプロフェッショナルだった。僕たちはニューヨークでバッキングトラックを作ってから、ジョーイをストックポートに連れて行ってヴォーカルを録音した。ジョーイは間違いなく僕の一番のお気に入りだった。彼は面白くて魅力的で、自分の仕事にはとても真剣に取り組んでいた。彼はよく僕に“もう一度やってもいい?”と尋ねてきた。彼にそうさせることもあれば、そうさせないこともあった。彼はとても責任感のある人だった。

彼らはそのアルバムを気に入らなかった。ジョニーは嫌っていた。彼らにとっては少し洗練され過ぎていたのかもしれないけど、レコーディング中は何も言わず、僕たちはうまくやっていた。自分の経歴に載せられてよかったと思っているよ。僕はそのアルバムでバック・ヴォーカルとギターを担当しているので、正真正銘のラモーンズの一員だ」

Q:1989年には、ウェンブリー・アリーナでWAXのライヴを観ました。あなたとアンドリュー・ゴールドは、天国で結ばれたソングライティング・パートナーでしたね。そのパートナーシップについて、どんな思い出がありますか?また、彼が恋しいですか?

「とても恋しいよ。彼のことが大好きだった。彼は何でもこなす人で、すべての面で達人だった。素晴らしいドラマーで、キーボードプレイヤーで、ギタリストで、シンガーで、プロデューサーだった。彼はすべてを兼ね備えていた。音楽的にも個人的にも、最も幸せな関係の一つだった。彼は面白い人だった。なんて頭の回転が速い人だったんだろう。僕たちがWAXとして活動を始めたのが、少し年を取りすぎてからだったため、より大きな成功を収めるチャンスを逃してしまったと思う。でも、彼が亡くなる少し前に、また一緒に何かやろうと話していた。WAXの作品は、僕が手がけた中でも最高のものだと思うよ」

Q:その後の著作権問題は別として、J・ディラが自身のアルバム『Donuts』で10ccの「The Worst Band in the World」をサンプリングしたことについてはどう思いますか?

「ロイヤリティを払ってくれるなら気にしないよ。 みんながそのサンプリングを聴いて、わあ、すごくクールだ、オリジナルのバンドを聴いてみようと思うかもしれないからね」

Q:ケヴィン・ゴドレイとロル・クレームが脱退し、あなたとエリック・スチュワートが10ccとして活動を続けることになった分裂の原因は何だったのでしょうか?

「ケヴィンと僕はこの件について話し合ったことがある。彼らを行かせて、彼らがやっていたことを終わらせてから、1年後にまた一緒になるべきだった。

最初に原因となったのは、ケヴィンとロルが“ギズモ”と呼ばれる、ギターの弦を常に振動させるアタッチメントをフィーチャーしたアルバムの制作に取り掛かったことだった。しかし(1976年の10ccのアルバム)『How Dare You!』の時点でも、雲行きは怪しくなっていた。彼らは曲作り、レコーディング、リハーサル、ツアーというサイクルに嫌気がさしていたと思うが、エリックと僕はそれが大好きだった。エリックと僕はしばらく活動を続けたけど、それがうまくいかなくなると、僕は真っ先に向ったのはアンドリュー(ゴールド)だったんだ。

分裂がなければ、ゴドレイ&クレームも、彼らがビデオ監督として手がけた作品も存在しなかっただろう。もし僕たちが一緒に活動を続けていたら、素晴らしい仕事をしていたと思う。ストーンズやU2、コールドプレイのようなバンドを見ると、彼らはとてもよく組織化されていて、物事を成し遂げている。再結集のオファーはたくさんあったけど、問題があると思う」

Q:もし僕ら全員で皆さんの旅費や宿泊費を出したら、1年後にグラストンベリーのステージでコールドプレイの代わりに4人が再結集することはありえますか?

「僕はコールドプレイは好きだよ!彼らは素晴らしい曲を作っている。(再結集は)うーん…いや、ないね」