ミニマル・ミュージックの巨匠
スティーヴ・ライヒ(Steve Reich) は「なぜミニマル・ミュージックは、あんなにも反復が多いのか? 」「現代音楽の作曲家、特にミニマリズムの先駆者たちは、ディスコやパンクロックを聴いていたのか? 」といったファンからの質問に返答。また
デヴィッド・ボウイ(David Bowie) やグレイトフル・デッドの
フィル・レッシュ(Phil Lesh) との思い出、そして
フィリップ・グラス(Philip Glass) と引っ越し屋をやったこと、
レディオヘッド(Radiohead) に感銘を受けたことなども語っています。英ガーディアン紙企画
Q:なぜミニマル・ミュージックは、あんなにも反復が多いのでしょうか?
「“ミニマル(ミニマリスト)”という言葉は、マイケル・ナイマンが作曲家というよりも音楽評論家であった時代に彼が作ったものですが、私や私のような音楽家が扱う音楽は、人々が聴き慣れているものよりも、はるかに小さなスケールで変化しています。反復の回数は、音楽の性質そのものなのです。例えば、私の初期の作品である『It’s Gonna Rain』や『Piano Phase』では、すべてが非常にゆっくりと動いています。中には“そんなもの聴いてられるか”と言う人もいるでしょうが、こうした作品を聴いた人々は、それぞれ異なるリスニング体験をすることになるでしょう」
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Q:デヴィッド・ボウイはベルリン時代にあなたの作品から影響を受けただけでなく、ボウイの「Love Is Lost」のジェームス・マーフィーのリミックス(Hello Steve Reich Mix)では、あなたの「Clapping Music」がサンプリングされています。1978年にボウイと話したことで覚えていることはありますか?
「僕たちはニューヨークのボトムラインで『Music for 18 Musicians』を演奏しました。ロック・クラブで演奏するのは初めてでした。その後、デヴィッド・ボウイが近づいてきて自己紹介をしたり、写真を撮ったりしていたが、それもコンサート後の短い会話のひとつだった。お互いに尊敬し合っているということが重要だった。彼に会えてとても嬉しかったし、彼が以前ベルリンで私たちの演奏を聴いたことがあると言っていた。素敵な出会いだった。ジェームス・マーフィーのリミックスは、奇妙な組み合わせだが、うまくいっているように思える。時々、自分の音楽が他の人によってどう扱われているかを耳にして、“彼らは僕に何をしたんだ?”と思うことがある。しかし、それは本当に興味深いサウンドだった。もう一度聴きたくなったよ」
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Q:私はロイヤル・アカデミーで美術品の運搬係をしています。あなたが活動を始めたばかりの頃、フィリップ・グラスと一緒に美術品の移動の仕事をしていたという話を聞いたことがあります。 本当ですか?
「イエスでもあり、ノーでもあります。私たちは物を移動させましたが、それは美術品ではなく、マンハッタンのローワー・イーストサイドで、大きな臭いマットレスやソファを階段で運び上げていました。私たちは二人ともお金に困っていて、フィルはパネルトラック(※トラックの荷台部分がパネルでできた箱型のトラック)を持っていたので、彼は“引っ越し屋をやろう”と言い出したんです。確かチェルシー・ライト・ムービングという名前でした。数週間ほど、ダウンタウンから、階段しかないアパートから重い家具を運ぶ引っ越し依頼が相次ぎました。それは重労働で、腰を痛めそうな仕事でした。それで、私たちはお互いに顔を見合わせて“もうたくさんだ”と言ったんです」
Q:グレイトフル・デッドのフィル・レッシュを覚えていますか?
「ミルズ・カレッジでイタリアの作曲家ルチアーノ・ベリオの授業で彼に出会いました。意気投合して、よく一緒に遊ぶようになりました。当時、フィル・レッシュは、シュトックハウゼンやベリオのようなオーケストラ曲を書いていました。あの頃の彼はベースは弾かず、トランペットを吹いていました。1962年か63年頃にサンフランシスコで“ハプニング”を行い、一緒に電子音楽の制作をしました。彼はタクシー運転手、私は郵便局で働いていたので、お互いの収入を出し合って、とてもいいテープレコーダーを買いました。私たちは多くの時間を一緒に過ごしましたが、ある日、彼は旧友のジェリー・ガルシアに会いに行き、気がついたら、彼はグレイトフル・デッドのベーシストになっていました。私たちはその後も、少しの間連絡を取り合っていました。彼はいい人でしたし、本当に素晴らしいミュージシャンで、ポジティブな力を持っていました」
Q:現代音楽の作曲家、特にミニマリズムの先駆者たちは、ディスコを聴いていたのでしょうか? パンクロックも?
「フィル・レッシュと私は2人ともビートルズを聴いていて、私は長年にわたり、ポール・マッカートニーに多大な敬意を抱くようになりました。パンクやディスコにはあまり惹かれなかったのですが、次に私を惹きつけたのは、全く別の世代のバンド、レディオヘッドでした。(ポーランドの)クラクフでコンサートを行ったのですが、当時、現地で最も注目されていたのは、レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドでした。実は、彼は私のエレキギターのための曲“Electric Counterpoint”を独自にアレンジしていたのです。彼のヴァージョンが素晴らしいと思いました。パット・メセニーのジャズ風ヴァージョンとは対照的な、よりロックなヴァージョンでした。私たちはすぐに意気投合しました。それから、レディオヘッドの音楽を聴き、とても感銘を受け、レディオヘッドの2曲を基に“Radio Rewrite”を書きました。ジョニーとの経験がなければ、決して書くことはなかったでしょう」
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Q:芸術は、最近のアメリカ政治の方向性に対抗する上で、何か意味のある役割を果たすことができるでしょうか?
「そうなることを誰もが望んでいるが、そうはならない。こういう例がある。ピカソの最高傑作のひとつである『ゲルニカ』は、ヒトラーの友人であったファシストの独裁者フランコがスペインのゲルニカの町を爆撃した直後に制作された。ピカソはそれについて読み、頭に浮かんだイメージをもとにこの反戦の傑作を作り上げた。でも、その後、ドレスデン、長崎、広島が爆撃され、そして9.11が起こった。もし、あの規模の惨事に何の影響も与えないのであれば、芸術や音楽の限界を認識する必要がある」