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『ザ・ビートルズ・アンソロジー』についてジョージ・マーティンの息子で30周年記念版をリマスターしたジャイルズが語る

2025/11/19 16:52掲載
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George and Giles Martin (Image credit: L. Cohen/WireImage/Getty Images)
George and Giles Martin (Image credit: L. Cohen/WireImage/Getty Images)
ザ・ビートルズ(The Beatles)のアンソロジー・プロジェクト『ザ・ビートルズ・アンソロジー(The Beatles Anthology)』について、ジョージ・マーティン(George Martin)の息子で、アンソロジー・コレクションの30周年記念ヴァージョンをリマスタリングしたジャイルズ・マーティン(Giles Martin)が英BBC Radio 2の番組『Saturday Morning Breakfast』の新しいインタビューの中で語っています。

まず、ジャイルズは、アンソロジー・プロジェクトの話が最初に提案された当時、父親のジョージがプロの世界から半ば引退していたことを回想しています。

「父が僕に“ビートルズのプロジェクトに参加してほしいと頼まれた”と言っていたのを覚えているよ。1970年以来だったと思う」

ジャイルズによると、その頃、父親は聴力を失い始めており、10代の自分がスタジオで父親の耳の代わりをする必要があったという。

「僕はちょうどマンチェスター大学を卒業したばかりだった。父はその頃、聴力を失い始めており、僕にスタジオに一緒に来てほしいと頼んだんだ。僕たちはよくピアノの前に座り、父は自分にはもう聞こえない音符を僕に教えてくれた」

アンソロジーが制作されていた当時、ジャイルズはみんなうまくやっていたと振り返り、ビートルズの人間関係について書かれてきた多くのドラマは、ジャーナリストや神話の語り手たちによって大きく誇張されていると語っています。

「彼らは(確執を)水に流していたと思う。ビートルズについて書かれていることの多くは真実ではない。ビートルズ内部では大きな争いは起きていなかった。争いが起きたのは、その後、つまり(彼らが)終わった後の関係について話しているときに起こったんだ。ジョージとリンゴは親友で、ずっと親友であり続けた。

ポールとジョンも親友だった。彼らの名声が最高潮に達し、その後に起こったすべてのことによって、関係を維持することが難しくなったんだよ」

ジャイルズは、1980年のジョンの悲劇的な死が、他のビートルズ・メンバーを結束させ、最終的にはアンソロジー・プロジェクトを制作する原動力になったと説明しています。

ジャイルズはまた、アンソロジー・プロジェクトを最初に提案したのが誰だったか正確には思い出せないとしつつも、ポールがしばしばバンドのプロジェクトの主な推進役だったと語っています。直近のポール発のプロジェクトはシングル「Now and Then」でした。

「“Now and Then”はポールが始めたんだ。リンゴはよく、“もしポールがいなかったらビートルズはアルバムを3枚しか作らなかっただろう”って言っていた。みんな庭でくつろいでいると電話が鳴って、“ああ、また彼だ!”ってね」

アンソロジー・プロジェクトは存命メンバーにとって一区切りを意味したのかと問われると、ジャイルズは同意してこう語っています。

「一区切りしたと思う。区切りの迎えた方は、それぞれ違った形だった。ジョージがドキュメンタリーで語っているように、ビートルズに起こったことは、ビートルズが“自分たち”のものではなくなり、“世界のもの”になったということだと思う。子どもたちはビートルズの曲を見つける。たとえ、ほんの少しでも、ビートルズは、人々を幸せにするには十分なんだ。

ビートルズに完全な終止符が打たれることは決してないだろう。彼らは今や文化とレガシーの一部であり、僕たちはそのことを誇りに思うべきだ」