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バッド・カンパニーとモット・ザ・フープルの創設メンバー ミック・ラルフス死去

2025/06/24 07:40掲載(Last Update:2025/06/24 07:58)
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Mick Ralphs Photo by Tom Hill/Getty Images
Mick Ralphs Photo by Tom Hill/Getty Images
バッド・カンパニー(Bad Company)モット・ザ・フープル(Mott The Hoople)の創設メンバーであるギタリスト兼ソングライターのミック・ラルフス(Mick Ralphs)が死去。バッド・カンパニーがSNSで発表。死因は発表されていませんが、彼は2016年に深刻な脳卒中を患い、亡くなるまで寝たきりの状態が続きました。81歳でした。

以下、バッド・カンパニーの声明より。

「俺たちの愛するミック・ラルフスが亡くなったことを、深い悲しみとともにお知らせいたします。

伝説的ロックバンド、バッド・カンパニーとモット・ザ・フープルの共同創設者であり、影響力のあるギタリスト兼ソングライターであるミック・ラルフスが、81歳で永眠いたしました。

彼は、最愛の妻であるスーザン・チャヴァス、2人の子供、3人の義理の子供、そして愛するバンドメイトのポール・ロジャースとサイモン・カークを残して亡くなりました。また世界中の何百万もの熱心なファンや友人たちにも惜しまれつつ旅立ちました。

“俺たちのミックが亡くなった。胸が張り裂ける思いだ。彼は俺たちに素晴らしい曲と思い出を残してくれた。彼は俺の友人であり、ソングライティングのパートナーで、驚くほど多才なギタリストで、最高のユーモアのセンスを持っていた。数日前に交わした最後の会話では笑い合ったが、これが最後ではないだろう。ミックとの思い出の多くは、きっとこれからも笑いを生み出すだろう。彼を愛したすべての方々、特に彼の唯一無二の愛であったスージーに哀悼の意を表します。天国で会おう” 愛を込めて ポール

“彼は親しい友人であり、素晴らしいソングライターであり、卓越したギタリストでした。俺たちは彼がいなくなることを深く寂しく思います”サイモン・カーク

フリーのポール・ロジャースがミック・ラルフスと初めて出会ったのは1971年のことでした。インスピレーションに満ちたジャムセッションとお互いの楽曲の共有を経て、ラルフスはモット・ザ・フープルを離れ、ロジャースと新しいバンドを結成するという大胆な決断を下しました。こうしてバッド・カンパニーが誕生しました。元キング・クリムゾンのベーシスト/ボーカリスト、ボズ・バレルとドラマーのサイモン・カークが加わり、バンドは完成しました。レッド・ツェッペリンの伝説的マネージャー、ピーター・グラントの助力を得て、バッド・カンパニーはツェッペリンのスワンソング・レーベルと契約した最初のバンドとなりました。

バンドの成功はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。1974年のセルフタイトルのデビューアルバムは(アメリカだけで)500万枚を売り上げ、“Can’t Get Enough”や“Movin’ On”といった名曲、さらに“Ready for Love”やタイトル曲“Bad Company”などのロック・アンセムを生み出しました。

バンドの不朽の影響力を称え、バッド・カンパニーは今年2025年後半にロックの殿堂入りを果たします。

ラルフスは2016年10月29日、ロンドンのO2アリーナでバッド・カンパニーとして最後のパフォーマンスを行いました。その数日後、彼は深刻な脳卒中を患い、亡くなるまで寝たきりの状態が続きました。

ミック・ラルフスは、世代を超えて人々に影響を与え続ける強力な音楽的レガシーを残しました」




ラルフスは1944年にイギリスのヘレフォードシャーで生まれ、ティーンエイジャーの頃からバンドで演奏を始めた。彼は1960年代半ばにシンガーのスタン・ティピンズとベーシストのピート“オヴァレンド”ワッツと共にドック・トーマス・グループを結成し、後にサイレンスと改名。1969年に新シンガーのイアン・ハンターが加入し、アイランド・レコードと契約し、プロデューサーのガイ・スティーヴンスの提案でモット・ザ・フープルと改名。スティーヴンスは最初の4枚のアルバムをプロデュースした。

モットのライヴ・コンサートは伝説的で、デヴィッド・ボウイも熱狂的なファンだった。しかしアイランド・レコードではチャート成功を逃し、バンドは1972年初頭に解散を決める。ボウイは解散を知り、自身のマネージャーと組ませ、次のアルバムをプロデュースし、新しいレコード契約を手配し、自身の作曲「All the Young Dudes(邦題:すべての若き野郎ども)」を提供することで、バンドのキャリアを再起動させることを決意した。バンドは1972年5月にボウイと共にレコーディングし、この曲はイギリスとアメリカで大きなヒットを記録した。同名のアルバムも成功を収めた。彼らの次のアルバム『Mott』はさらに成功を収め、「All the Way From Memphis」と「Honaloochie Boogie」のヒット曲を収録した。ラルフスは1973年、フリーの元メンバーであるポール・ロジャースとサイモン・カークと共にバッド・カンパニーを結成してモットを離れた。

バッド・カンパニーは1982年に解散したが、その後数回再結成された。ラルフスは1984年にピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアのソロツアーに参加した。2004年にハンターとツアーを行い、2009年秋にはモット・ザ・フープルの再結成に参加した。ミック・ラルフス・ブルース・バンド、そしてバッド・カンパニーの様々な編成と定期的に共演していたが、2016年に脳卒中で倒れ、亡くなるまで寝たきりの状態が続いた。