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オジーの妻 ブラック・サバスが初期にマネジメントに騙された経験を回想/サバスの他メンバーがオジーに嫉妬していたと思うとも語る

2025/03/04 14:42掲載
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Ozzy & Sharon Osbourne: Let's get trophy hunting banned!
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ブラック・サバス(Black Sabbath)はキャリア初期にマネジメントに騙された経験がありますが、オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)の妻でありマネージャーでもあるシャロン・オズボーンがその時代を、ビリー・コーガンのポッドキャスト「The Magnificent Others」の新しいインタビューの中で振り返っています。またシャロンは同じインタビューの中で、サバスの他のメンバーがオジーに嫉妬していたと思うとも語っています。

ブラック・サバスが1970年にデビューアルバムをリリースした後、業界関係者がサバスの可能性に気づくのにそう時間はかからなかったという。シャロン・オズボーンは当時、父親で、型破りなビジネス手法で「英国のゴッドファーザー」や「ポップ界のアル・カポネ」などの異名を取っていたドン・アーデンの受付係として働いていました。

「オフィスではブラック・サバスというバンドの話題で持ち切りだった。あんな音楽は誰も聴いたことがなかったから」

シャロンによると、ドン・アーデンはバンドにすぐに目を付け、彼らのロンドンでの初ライヴの翌日には、部下を派遣してバンドをオフィスに呼び出していました。

「父が派遣した運転手はとても面白い人で、ボディーガードでもありました。彼はその道に精通しており、波瀾万丈な過去を持っていた人物でした。彼は彼らを迎えにホテルに行き、父のオフィスに連れてきました。彼らがロールスロイスに乗ったのは初めてでした。父は、どうすれば相手に印象を与えることができるかを知っていたのです。

彼らはロンドンのメイフェアにあった私たちのオフィスにやってきました。中に入ってきた彼らはみんな、椅子には座らず、床に座ってしまった。受付に私がいました。私は“一体どうなってるの?”という感じでした。私は、誰とも目を合わせないように、ただ電話に出ていました。その後、私は彼らを父のオフィスに案内しました」

シャロンによると、前述のボディガード兼運転手は、サバスの後の悪名高いマネージャーであるパトリック・ミーハンと共に、バンドを飲みに連れ出し、ドン・アーデンとの契約を思いとどまらせようとしたという。

「その後、父のボディーガードで運転手でもあったこの男、名前はウィルフは、彼らをバーミンガム行きの駅まで送るはずだったのですが、彼はそうしませんでした。彼は彼らをパブに連れて行きました。

父の元で働いていた働いていた男の一人は、ジーン・ヴィンセントのツアー・マネージャーをしていた人物でした。リッチー・ブラックモアがバックバンドにいた頃の話。その人物が、この飲みの席に参加していました。

彼は父の元でツアー・マネージャーをしていましたが、毎日オフィスで働いていました。それでウィルフと会ったのです。彼らはサバスと話し、サバスは彼らに、父を恐れていると言いました。ウィルフとこの男、パトリックは“そうだ。彼は君の金をすべて盗む!彼とは一緒にいたくないはずだ! 殴り倒されるぞ! なんでもされるぞ、あんなことや、こんなことも”と話しました。サバスは彼らの話を聞いていたので、とにかく父を恐れていました。

そしてその金曜日、パトリックとウィルフはブラック・サバスを連れて(会社を)出ていきました」

ブラック・サバスのトニー・アイオミは、そのマネージメントの下で経験した多くの苦難をシャロンに語り、自分たちの過ちを認めたという。

「1979年初頭、トニーはロサンゼルスにいたのですが、彼は“お前の父親が俺らにするだろうと思っていたことはすべて、彼らにやられた。すべてを盗まれ、全部持っていかれた”と言っていました。

彼らは3か月のアメリカツアーを行いました。ツアーの報酬として1人あたり1000ポンドの小切手を受け取っていました。彼らは、それは大金だと思っていたし、それで満足していました。彼らは“家を買うのに十分なお金だと思うかい?”と彼らに尋ねると、パトリックは“もちろん、もちろん、そうさ、そうさ、家を買えよ。全部面倒見てやるから”と言い、そして彼らは家を買いました。大きな邸宅ではなく、普通の家を買いました。でも、彼らの名義ではなく、パトリックの名義だった。彼らが乗っていた車も、名義はパトリックのものだったのよ」

またシャロンは同じインタビューの中で、サバスの他のメンバーがオジーに嫉妬していたと思うとも語っています。

「彼らはいつもオジーのことで頭がいっぱいだった。オジーがどうした、オジーがどうのこうの…、とね」

シャロンは、アイオミはオジーのステージの位置を変えて、自分が注目されるようにしたこともあったという。

「トニーは、オジーをステージの端に移動させて、自分が真ん中にいられるようにしたのよ。

要するに、誰もが知っていることだけど、オジーはお酒に強くなかった。いつも最初に倒れていた。つまり、世界で最もひどい酒飲みで、薬物にも溺れていた。 他のメンバーはなんとか大丈夫という体裁を保てたけど、オジーはいつも倒れていた。

正直なところ。オジーは楽器を演奏しないので、彼らの目には彼の価値は低く映っていたと思う。“お前はただ歌うだけだ。歌うことしかできない”とね。だから正直に言うと、私なりに整理しようとしてきたことなんだけど、彼らは嫉妬していたんだと思う。だって、オジーは注目を集めていたから。これはどのリードシンガーにも言えることだけど、それはこの仕事にはつきものです。それに、彼らはオジーほど注目されていなかった。彼らは“お前は何もしていない。いつも酔っ払っているだけなのに、なぜそんなに注目されるんだ?”と思っていたと思う。それが大きな原因だったと思う。ようするに、彼らは子供だったのよ。

(オジーの独特なカリスマ性について聞かれたシャロンは)

オジーには何かがある。彼を嫌いになることはできない。彼は世界一の笑顔の持ち主で、最高の笑顔を向けてくれると、思わず抱きしめたくなる。そして、彼は常に音楽と他のミュージシャンのファンであり続けた。彼は大のファンで、彼が“愛してる”と言うとき、人々は彼がとても誠実だと感じ取ったと思う」