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レッド・ツェッペリンのメンバーが公式ドキュメンタリー映画『Becoming Led Zeppelin』を承認するまでの経緯 監督語る

2025/02/05 13:56掲載
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Becoming Led Zeppelin
Becoming Led Zeppelin
レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のオフィシャル・ドキュメンタリー映画『Becoming Led Zeppelin』の海外公開にあわせて、監督のバーナード・マクマホンが英ガーディアン紙のインタビューに応じ、ツェッペリンのメンバーにドキュメンタリーが承認されるまでの経緯などを語っています。

『Becoming Led Zeppelin』は、エミー賞と英国アカデミー賞にノミネートされた受賞歴のあるバーナード・マクマホン (『アメリカン・エピック』) が監督を務め、マクマホンと英国アカデミー賞にノミネートされたプロデューサーのアリソン・マクガーティーが脚本を担当しています。

『アメリカン・エピック』はマクマホンとマクガーティーが手がけたアメリカ音楽のルーツを巡る音楽ドキュメンタリーで、電気を用いた録音技術が開発された1925年からアメリカ各地の人々の音楽が録音されたプロセスを描いたもの。ブルース、カントリー、ケイジャン、メキシコのミュージシャンが1920年代に初めて録音したときの衝撃を描いています。

レッド・ツェッペリンのメンバーとドキュメンタリーについて交渉する前、マクマホンとマクガーティーは、レッド・ツェッペリンについての映画を制作するために10か月間リサーチを行っていました。彼らはストーリーボードをまとめ、見つけられる限りのインタビューを聞き、60年代後半のバンドの初期の時代を語るためにアーカイブ映像を掘り起こし始めていました。

レッド・ツェッペリンのメンバーはインタビューやテレビ出演をほとんど拒否しており、ましてや存命のメンバー3人が出演するオフィシャル・ドキュメンタリー映画は、なおさらのことと思われていました。マクマホン自身も「僕が電話をしたら、興味がないと言われる可能性が非常に高かった。会うことさえできない可能性も十分にあた」と振り返っています。

マクマホンがまず最初に接触したのはジミー・ペイジ(Jimmy Page)でした。2017年11月、ロンドンのホテルで最初のミーティングが行われました。ペイジはイギリスの高級スーパーの買い物袋を持って現れたという。マクマホンはストーリーボードなどを見せながら話し始め、ペイジが初めてロバート・プラントに会った場面の話になると、ペイジはマクマホンを試しました。ペイジはプラントが当時どのバンドに所属していたのか尋ねます。マクマホンが「Hobbstweedle」と答えると、「素晴らしい。続けて」とペイジは言いました。その後ペイジは持っていた買い物袋を開け、その中には60年代にさかのぼる古い日記が入っていました。休憩を挟んで7時間後、ペイジは「僕は参加する。でも、他のメンバーも参加しなければならない」と言いました。数日後、ペイジはマクマホンに電話をかけ、「パンボーンまで一緒に行かないか?」と尋ね、映画制作者たちに、かつて自分が住んでいたボートハウスやバンドがリハーサルを行っていた場所を案内しました。「後になって、彼はそれがテストだったことを明かしました。“もし君がパンボーン行きを断っていたら、この映画は作っていなかっただろう”」とマクマホンは振り返っています。

マクマホンが次に声をかけたのはジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones)でしたが、彼からは「ドキュメンタリーには興味がない」と言われました。そこでマクマホンは自身が手がけたドキュメンタリー『アメリカン・エピック』をジョーンズに送りました。マクマホンはジョーンズに「15分見てください。その後、もし僕たちと話したくないのであれば、こちらからはもう連絡しませんし、それで映画は終わりです」と頼みました。その後、ジョーンズは折り返し電話をかけ、4時間話し合った後、彼も参加を決めました。

ロバート・プラント(Robert Plant)は成功した多彩なキャリアを楽しんでおり、マクマホンはプラントへの交渉が最も難しいと思っていました。しかし、プラントは『アメリカン・エピック』のファンでした。数回のミーティングの後、彼はバーミンガムでインタビューに応じることに同意しました。

ジョン・ボーナム(John Bonham)もこの映画に出演しています。姿は映っていませんが、声で出演しています。マクマホンは、オーストラリアで行われたボーナムのインタビューの質の悪いブートレグを耳にしたことがありましたが、それがどこから出回ったものなのかは全くわかりませんでした。しかし、長期間にわたる調査とアーカイブ担当者の根気強い努力の結果、未整理のラジオテープの山の中から発見されました。

存命のメンバー3人のインタビューも、かつての瞬間を忘れないように工夫を凝らしたと、マクマホンは語っています。

「インタビューを行っている間、部屋に思い出の品を置いていました。クリップや写真、古い新聞、チケットの半券など、楽しんでもらえそうなものを何でも見せていました。映画の中では、ジミーがそれまで見たことのないバース・フェスティバルの映像を見ている場面もあります」

マクマホンによると、バンドが映画化に同意した後、彼らは編集権を要求したり、干渉したりすることは一切なかったという。

メンバーのインタビューは2018年に行われ、その後、2人は映画の大部分を占める音楽の収集に取り掛かりました。レッド・ツェッペリンの初期音楽はもちろん、彼らに影響を与えたミュージシャン、あるいは彼らと仕事をしたミュージシャンからも音楽を収集しました。

マクガーティーはアメリカとイギリスを旅し、ニューフォレストの屋根裏部屋で「Dazed and Confused」、オックスフォードシャーの村で「I Can't Quit You Baby」の高画質なフィルムを見つけました。最高の音質を得るために、オリジナルのネガやテープを探し出し、アルバムから音を録音する際には「その場にいるような気分になれるよう、最高品質のラッカー盤を使用した」という。多くの音楽ドキュメンタリーとは異なり、多くの楽曲がフルコーラスで流れていますが、マクマホンは「本来はそうあるべきだからね」と語っています。

映画は、1970年にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたレッド・ツェッペリンのヘッドライナー公演で撮影された「What Is and What Should Never Be」で終わります。なぜそこで終わらせるのか? マクマホンはこう話しています。

「1970年1月、彼らは北米で最も人気のあるバンドとなり、英国に戻ってきました。最後の曲では、観客は彼らを戻ってきたヒーローとして受け入れています。バンドのすべての家族がそこにいて、これは彼らの初期の物語の集大成なのです」