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『サタデー・ナイト・ライブ』ドキュメンタリーから判明したこと ブルース・ブラザーズ/エディ・マーフィ/コステロ/レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン他

2025/01/28 14:26掲載
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Elvis Costello - Saturday Night Live
Elvis Costello - Saturday Night Live
米国の人気番組『サタデー・ナイト・ライブ(Saturday Night Live/SNL)』の音楽パフォーマンスを題材にしたドキュメンタリー『Ladies & Gentlemen … 50 Years of SNL Music』。このドキュメンタリーから判明したことを米NPRと米consequenceが特集しています。

NPRは、エディ・マーフィ(Eddie Murphy)は当初、ジェームス・ブラウン(James Brown)に扮した彼が泡風呂に入る有名な音楽コント「James Brown's Celebrity Hot Tub Party」を拒否したこと。ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドによるブルース・ブラザーズ(The Blues Brothers)はお蔵入りするところだったこと。シネイド・オコナー(Sinead O’Connor)の反抗的なパフォーマンスに対する反応は現在では変化していること。エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)はSNLから永久追放されたわけではなかったことを紹介。

米consequenceはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(Rage Against the Machine)事件を特集。新たな事実を明らかにしています。

エディ・マーフィ(Eddie Murphy)は当初、ジェームス・ブラウン(James Brown)に扮した彼が泡風呂に入る有名な音楽コント「James Brown's Celebrity Hot Tub Party」を拒否したという。

マーフィーはドキュメンタリーの中で「まず第一に、やりたくなかった。当時はタバコも吸わないし、ハイになったりもしなかった。SNLでは多くの人がタバコを吸っていて、しかも午前の2時か3時だった。(作家たちが)“面白いことを思いついた。ジェームス・ブラウンが泡風呂に入るってのはどうだ”と言っていた。俺は“ふざけんな”と答えた。でも実際にやってみたら、これまでで一番面白いものになった”」と語っています。



●ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドによるブルース・ブラザーズ。お蔵入りするところだったという。

2人は当初、ハチの衣装を身にまとってSNLで音楽を演奏し、番組で長期間にわたってジョークを続けていましたが、最終的には、ブルース・ブラザーズとして知られる“ジョリエット”・ジェイク・E.ブルースとエルウッド・J.ブルースというバンドのフロントを務める2人のブルース・キャラクターを思いつきました。彼らは1978年4月22日に番組でデビューしましたが、じつはエグゼクティブ・プロデューサーのローン・マイケルズは、このアイデアを嫌い、番組からカットしていました。しかし、番組の時間が余ったとき、マイケルズは2人に“(余った)その3分間を埋めるものが何もない。お前らのバカをさらけ出していいぞ”と告げたことで出演することになったという。SNLとブルース・ブラザーズ・バンドのトロンボーン奏者であるトム・マローンが証言しています。



●シネイド・オコナーの反抗的なパフォーマンスに対する反応は変化した。

1992年、シネイド・オコナーが音楽ゲストとして出演した際、彼女はボブ・マーリーの「War」をアカペラで歌いながら「真の敵と戦え」と叫び、ヨハネ・パウロ2世の写真を破るというパフォーマンスでプロデューサーたちを驚かせました。彼女の行動は何千もの苦情が寄せられ、有名人からも非難されました。

しかし、ドキュメンタリーでは、SNLのエグゼクティブ・プロデューサーは現在ではオコナーの行動に対してより共感的な見解を示しています。これは、聖職者による児童性的虐待事件に対してカトリック教会が適切に対応しなかったという最近の告発があったためかもしれないと米NPRは伝えています。ドキュメンタリーの中で元SNLの脚本家兼パフォーマーのアル・フランケンは「彼女は自分の意志でやった。彼女はある意味正しかったんだ」とコメントしています。



●エルヴィス・コステロはSNLから永久追放されたわけではなかった。

コステロは、ほとんどの音楽アーティストがあえてやらないことをしたことで、SNLの伝説となりました。1977年に初めて番組に出演した際、演奏を始めてから数秒でバンドを止めて、演奏する曲を変更することを決めて、英国のラジオ業界の商業主義を批判する楽曲「Radio Radio」を演奏しました。

伝説では、コステロは番組から追放されたと考えられていましたが、ドキュメンタリーでは、1999年の25周年記念番組で元のパフォーマンスをパロディー化するなど、その後もコステロがSNLに何度も出演していることがわかります。「我々は誰も追放したことはない」と、エグゼクティブ・プロデューサーのローン・マイケルズは映像の中で語っています。しかし、コステロは最初の出演から2回目の出演まで12年のブランクがありました。



●1996年4月13日、音楽ゲストで出演したレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは2曲を披露する予定でしたが、2曲目を演奏することはなく出演を終えました。ドキュメンタリーの中で、トム・モレロは、この放送について詳しく語り、シークレット・サービスがバンドを楽屋に閉じ込めたという新たな事実を明らかにしています。

この日の番組ホストは、億万長者で当時共和党の大統領候補であったスティーブ・フォーブスでした。

トム・モレロはこう話しています。

「俺が非常に重要だと考えることのひとつは、自分の信念を自分の職業に織り込むことだ。映画の監督であれ、カメラの操作であれ、ロックバンドでギターを弾いている人であれ。

レイジのようなバンドにとって、SNLはそれを行う絶好の機会だった。SNLに出ることは価値のあることだった。それはアメリカの文化とエンターテイメントのDNAの一部だった。だから、出演依頼が来た時、俺たちは“喜んで”と言ったんだ。しかし、レイジは決して普通のやり方はしない。だから、俺たちは“これをどうやってクレイジーなパフォーマンス・アートに変えるか?”と考えていた。

スティーブ・フォーブスがホストを務める予定だと聞いた。彼はちょうど共和党の大統領候補だった。彼はフォーブス誌のフォーブスであり、アメリカで最も裕福な人の一人であり、地球上で最も辛口で退屈な人間の一人でもある...さて、どうなるかな」

モレロによると、リハーサル中にバンドがアンプに上下逆さまにした星条旗を掲げたところ、広告主が快く思わないこと、そしてスティーブ・フォーブスがホストを務めるという「奇妙な雰囲気」もあって、バンドはそれを取り除くよう言われたと説明しています。

「俺たちは“お前らはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを招待したんだ。くそくらえ。お前の言うことなんて知るか”という感じだった。

ライヴの当日がやってきて、我々のローディーたちは準備万端だった。“Bulls on Parade”を演奏しようした時、ローディーたちは外してあった、逆さまの旗をアンプに戻した。ステージマネージャーはヘッドセットで“今すぐそれを外せ!”と怒鳴っていた。ローディーたちは(入れないように)周囲を守るように指示されていた。本番まであと35秒。ステージマネージャーがSNLのスタッフを送る。ステージ上で急遽ミーティングが行われ、残念ながら、たくましいニューヨークの組合員たちが、生放送開始7秒前にアンプから旗を剥ぎ取ってしまった。

ロックなパフォーマンスを終え、まだ緊張感が漂うなか、俺たちは楽屋に戻った。俺たちの楽屋はスティーブ・フォーブスの楽屋の真向かいにあった。時間が過ぎ、SNLの代表者がやって来て“番組が少し長引いているので、2曲目をカットすることになりそうです”と言った。彼は、そのまま俺たちを残して立ち去った。それが彼らのミスだった。(ベーシストの)ティム(コマーフォード)は、そういうことが好きじゃない。そして、彼は自分の気持ちを表現する。彼がしたことは、星条旗を1枚取り出して破り、それをボール状に結んだ。それは武器と呼べるかもしれない。そして彼は向こう側のスティーブ・フォーブスの楽屋に入り込み、彼を攻撃した。スティーブ・フォーブスは楽屋にいなかったが、彼の家族がそこにいた。そこでティムはボール状に結んだアメリカ国旗を、叔母や従兄弟、妻や子供たちに向かって投げつけた。幸いにも、その固体の整合性はそれほど高くなく、それはバラバラになり、誰も傷つけなかった。

スティーブ・フォーブスが大統領候補だったことは、前にも言ったかな? 廊下にはスティーブ・フォーブスと彼の家族を守っているシークレットサービスが溢れかえっていた。俺たちは彼らによって楽屋に閉じ込められた。その後、俺たちはエスコートされて30ロックの歩道に出た。気づいているかもしれないが、番組の別れの挨拶にはレイジの名前はない。それでも俺はアフターパーティーに行ったよ(笑)」



『Ladies & Gentlemen … 50 Years of SNL Music』は米NBCで2025年1月27日放送。」以下はトレーラー映像