
Wayne Perkins - Michael Putland, Hulton Archive, Getty Images
ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)や
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(Bob Marley & the Wailers)の重要なアルバムに参加し、
ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)や
レーナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)への加入寸前までいった、著名なセッション・ギタリストの
ウェイン・パーキンス(Wayne Perkins)が死去。家族が発表。米ローリングストーン誌などによると、パーキンスは脳卒中を起こし、3月16日に亡くなりました。74歳でした。
以下、ウェインの家族であるデールの声明より
「まだご存じでない方へ。ウェインは昨日、安らかに息を引き取りました。きょうだいや家族が彼のそばにいました。温かいお言葉や思い出をお寄せくださり、心より感謝いたします。彼は本当に唯一無二の存在で、私たちは彼を深く愛していました。皆さま、本当にありがとうございました」
ウェイン・パーキンスは1951年にアラバマ州バーミングハムで生まれた。
パーキンスは15歳の時にマッスル・ショールズでキャリアをスタートさせた。マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオで、ジョー・コッカー、レオン・ラッセル、スティーヴ・ウィンウッドなどの作品で演奏した。
セッション・ギタリストとして彼の多岐にわたる仕事を称賛した一人が、レーナード・スキナードのロニー・ヴァン・ザントだった。ヴァン・ザントは、自身のバンドへの加入を打診した。パーキンスは誘いを断ったものの、かなり近いところまでいったという。パーキンスはスキナードの初期のデモ曲のいくつかで演奏した。
1972年にはスミス・パーキンス・スミスを結成し、同年にアイランド・レコードからアルバムをリリースした。これは同レーベルにとって初のアメリカ人アーティストによる作品だった。
パーキンスはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの1973年アルバム『Catch a Fire』に参加した。その翌年の1974年にはジョニ・ミッチェルの名盤『Court and Spark』のレコーディングに参加した。
その後、レオン・ラッセルと2年間演奏。この間、彼はエリック・クラプトンと親しくなった。
パーキンズが最初にローリング・ストーンズから注目を浴びたのはクラプトンを通じてのことだった。1976年アルバム『Black and Blue』のレコーディング前にミック・テイラーが脱退した時、ストーンズに新しいギタリストとしてパーキンズを推薦したのがクラプトンだった。
パーキンズは、バンドが新たな正式メンバーを探し続ける中、このアルバムに参加した数人のギタリストの一人だった。パーキンスはアルバム収録曲のうち、「Hand of Fate」、「Memory Motel」、「Fool to Cry」の3曲で演奏した。また、同アルバムのレコーディング・セッション中に録音されたものの、1981年の『Tattoo You』までリリースされなかった「Worried About You」でも演奏している。
彼はストーンズに好印象を与え、『Black and Blue』のレコーディング・セッション中に加入寸前までいったという。キース・リチャーズは回顧録録『Life』の中で、パーキンスがミック・テイラーの後任として加入を打診する寸前だったと語っている。
「俺たちはパーキンスをとても気に入っていた。彼は素晴らしいプレイヤーだった……(だが)結局のところ、演奏の腕前だけが理由ではなかった。決定的な要因は、ロニー(ウッド)がイギリス人だったことだった」
結局、その座を勝ち取ったのはロニー・ウッドだった。
パーキンスは80年代、90年代、2000年代を通じてレコーディング活動を続けた。ここ数年、彼は複数の脳腫瘍と診断され、3月1日に脳卒中を患った。