ナイル・ロジャース(Nile Rodgers)は、アートの好みやお気に入りのアルバムを交換し合うことで、そのアーティスト自身を知りたいと考えていて、
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)とは『Let’s Dance』を作る前にそうしたという。
ジョン・メイヤー(John Mayer)ともお気に入りのアルバムを交換し合ったそうですが、うまくいかず、2人のコラボレーションは決裂し、幻に終わったという。Vultureの新しいインタビューの中で、振り返っています。
「今では『Let’s Dance』のあの曲たちについて語ることも多いけれど、40年前、デヴィッドはレコード会社から契約を切られていた。醜い真実として、デヴィッドはアメリカではアルバムがまったく売れていなかった。今ではすべてがクールで素晴らしかったかのように語られるけれど、当時はそうではなかった。彼は成功していたわけじゃなかった。ちょうど『Scary Monsters』を出したばかりで、僕はあれを本当にクールな作品だと思っていた。売れていなくても、面白いアイデアが詰まったアルバムが大好きだった。多くの場合、それをほどいていくように聴きながら“この人は何を伝えようとしているんだろう?”とその意味を解きほぐそうと試みていた。僕は恐怖に満ちた子ども時代を過ごしたからね。両親はヘロイン中毒だった。だから『Scary Monsters』は、いろいろな意味で僕に響いたんだよ。
デヴィッドとの出会いは、まったくの偶然だった。当時一緒に仕事をしていたエンジニアとクラブに入ろうとしたら、たまたま同じタイミングでビリー・アイドルも入ってきた。一緒に中をのぞくと、店の一番奥で、デヴィッドがひとりで座っていて、オレンジジュースを飲んでいた。
ビリーは信じられない様子で“なんてこった、あれはデヴィッド・ファッキン・ボウイじゃないか!”と言った。僕らは勇気を出して彼のテーブルに向かった。僕が最初に言ったのは、“あなた、僕の友人のルーサー・ヴァンドロスやカルロス・アロマーと同じビルに住んでますよね。まるでコミューンみたいに、あなたたちでビルを占拠してるみたいだ”という感じだった。そこから話し始めて、その夜、ロックンロールの話はまったくしなかった。前衛ジャズの話ばかりしていた。お互いのクールさの感覚を競い合っていた。最後には何かの理由で僕は彼のアーティストとしての魂に触れたんだと思う。毎日かなりハイになっていたから、あの夜のことはあまり覚えていない。自分の電話番号を渡したことさえ覚えていない。その頃、僕の家は改装中で、彼は毎日のように電話をかけてきた。工事の人たちは、かなり骨太なイタリア系な人たちだったんだけど、1週間ほどしてこう言ったんだ。“ロジャースさん、毎日、【自分はデヴィッド・ボウイだ】って言うクソ野郎から電話がかかってきますよ”。僕は“毎日って? まさか…本物の彼じゃないか!”って驚いたよ。
『Let's Dance』の制作は、本当に魔法のような時間だった。アルバム全体を2日で仕上げたからね。プリプロのほとんどを図書館で過ごし、さまざまな芸術的コンセプトを見て回った。僕は昔から他のアーティストと、アートの好みやアルバムを交換し合うことで、その人自身を知る、そんなことをずっとやってみたいと思っていたんだ。
実は一度、ジョン・メイヤーとそれを試したことがあった。けど、完全にうまくいかなかった。彼が勧めてくれたお気に入りのアルバムは、コールドプレイのデビュー作『Parachutes』。クールだと思ったよ。僕が彼に渡したのはローリング・ストーンズの『Their Satanic Majesties Request』だった。僕はこれを史上最も過小評価されているロックンロール・アルバムだと思っている。でもジョンには通じなかった。奇妙な話だよ。ジョンは地球上で最も聡明な人物の一人かもしれないのに。最初の2日間は兄弟みたいに意気投合していた。でもアルバム交換をした後は“ダメだな”という感じになってしまったんだ」