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ドアーズのジム・モリソンは楽器の才能はなかったがバンドを「極めて特異な存在」にした独自のスキルを持っていたとジョン・デンズモア語る

2025/12/25 18:46掲載
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The Doors
The Doors
ザ・ドアーズ(The Doors)ジョン・デンズモア(John Densmore)によると、ジム・モリソン(Jim Morrison)は「どんな楽器もコードを一つも弾けなかった」そうで楽器の才能はなかったが、バンドを「極めて特異な存在」にした独自のスキルを持っていたという。Ultimate Classic Rockの最近のインタビューの中で振り返っています。またドアーズ楽曲の作詞・作曲のクレジットがバンド名義である理由はモリソンの一言だったとも明かしています。

「ドアーズは極めて特異な存在だった。ジムはどんな楽器もコードを一つも弾けなかった。そういう意味では全くの素人だったが、でも言葉を持っていた。歌詞を覚えるために、彼はメロディーを考えたんだ。とても複雑で、美しいメロディーをね。彼は才能に恵まれていて、俺らにアカペラで歌って聴かせて、俺らは全員でそれを形にしていった。だから彼はこう言ったんだ。“なあ、(ソングライティングのクレジットを)分け合うのはやめよう。曲は全部ザ・ドアーズってことにしよう。俺が作詞したなんて言わない。お金は全部分け合おう”ってね。ものすごく公平で民主的だったし、そのおかげでみんなが200%の力を出せたんだ。

(インタビュアー:それにより、多くのバンドにある摩擦や緊張感が排除されたのですね?)

まあ、うちの場合の緊張感はジムの病気、つまり進行するアルコール依存症だった。たいていのバンドには、シンガーソングライターが一人か二人いるだろう。ジョン・レノンとポール・マッカートニーとか、キース・リチャーズとミック・ジャガーとか。彼らが曲を書いて、バンドに教えて、みんなで演奏する。ロビー(クリーガー)も完成した曲をいくつも持ち込んでいたし、すごくいい曲もあったけれど、それでも多くの部分は有機的に生まれたものなんだ。

(インタビュアー:デビューアルバム『The Doors』に収録されている“The End”はどのようにして生まれたんですか?)

ジムが俺らにアカペラで歌ってくれたんだけど、それはラブソング、別れのラブソングみたいに聴こえた。ロビーと俺はラヴィ・シャンカールのインド音楽学校に通っていて、その影響を強く受けていた。そこで彼はギターにインド風のチューニングを施し始めた。それからクラブで演奏を重ねるうちに、次第に、あの長くて壮大な叙事詩的な曲へと進化し、最後に絶頂的なクライマックスを迎えるようになった。何カ月も観客の前で演奏して試行錯誤する中で自然とまとまっていったんだよ。ジムには、いろんな詩を試せるセクションがあった。うれしかったのは、“Light My Fire”は6分だったろ。そして次のアルバム(『Strange Days』)では“When the Music's Over”が約11分、“The End”と同じくらいになった。俺らは三分間のフォーマットを壊したんだ」