ポール・ロジャース(Paul Rodgers)は米Guitar Playerの新しいインタビューの中で、一緒に仕事をしたことがある最高のギタリストたちの中から、亡くなった
ポール・コゾフ(Paul Kossoff)、
ミック・ラルフス(Mick Ralphs)、
ジェフ・ベック(Jeff Beck)、
スティーヴ・クロッパー(Steve Cropper)について語っています。
■ポール・コゾフ
「彼とはフリーを結成する以前からの友人で、卓越したギタリストだった。ジャム・セッションで出会った。ロンドンのブルース・クラブ、フィックル・ピックルで彼がステージに上がってきて、その圧倒的なサウンドと流麗なエレキ・ギターのプレイで一気に心を持っていかれた。まるでずっと一緒に演奏してきたかのように演奏し、俺たちの間にはすぐに信頼関係が生まれた。
彼のギブソン・レスポールは、当時の言い方でいえば“Bee's Knees(最高のもの)”だった。当時、エリック・クラプトンはレスポールとマーシャル・スタックの組み合わせで、街の反対側のウェストエンドのウォードー・ストリートにあるマーキーで演奏していた。
ロンドンの音楽シーンはブルース・ブームの真っ只中だった。B.B.キング、アルバート・キング、ジョン・リー・フッカー、ハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズなど、誰もがブルースを聴いていた。
ポールは、一瞬でわかるタイプのプレイヤーの一人だった。“All Right Now”の冒頭のコードのように、ほんの数音やコードを聴いただけで彼だとわかる。独自性は指に宿ると思うが、正しい機材も必要で、彼はとんでもなく素晴らしいサウンドを持っていた。今でもそうだ。彼は俺にとってソウルメイトのギタリストで、音楽的にも息がぴったり合った。25歳という若さで彼を失ってしまったのは本当に悲しい。本当に悲劇だ」
■ミック・ラルフス
「俺らはレーベル仲間だった。フリーとモット・ザ・フープルはどちらもクリス・ブラックウェルのアイランド・レコードと契約していた。ノッティング・ヒル・ゲートのボダイン・ストリートにあるオフィスでミックに会うこともあった。その後、モット・ザ・フープルと、俺の次のバンド、ピースで、英国を一緒にツアーした。そこでミックと親しくなり、彼の人柄を好きになった。いつもフレンドリーで、本当に面白い奴だった。
やがて一緒に曲を作り始めた。バンドにとって曲こそが生命線だから、そのソングライティングがバッド・カンパニーへと発展していったんだ。彼には“Can’t Get Enough”があったけど、モットのイアン・ハンターはバンドのスタイルに合わないと感じていた。ミックが俺に聴かせてくれたとき、俺は“これはヒット曲だ、ぜひ歌いたい”と言い、こうして俺たちのファーストアルバム制作が本格的に始動した。
ミックは、よく“堅実なギタリスト”と評されたけれど、俺にとって彼は常にそれ以上の存在だった。彼はソングライターとしてもギタリストとしても抜群に優れていたからね。彼のサウンドの素晴らしいところのひとつは、その多面性にあったんだ。
“Rock Steady”も“Burning Sky”も“Silver, Blue and Gold”も、そしてもちろん圧倒的な“Can’t Get Enough”や“Movin’ On”を聴いてほしい。それぞれの曲やトラックを思い浮かべて、彼が弾くことを選んだフレーズだけでなく、その“音”そのものに注目すると、どの曲も一度限りのもので、それ以前にもそれ以降にも一度も演奏されたことがない唯一無二のものだとわかる。真似をしようとする試みはたくさんあった。それこそが最高の賛辞だと聞いているよ。
どの曲でも彼のサウンドは歌詞のムードや雰囲気に完璧に寄り添い、高めていた。ダークで憂いを帯び神秘的な“Electricland”も、あるいはこれぞロックンロールと言わんばかりの“Preacher”もね。俺にとって彼は、これまでも、そしてこれからも、ずっと計り知れないほどインスピレーションを与えてくれる存在だ。ミックは、その唯一無二で多彩なギターサウンドで、バッド・カンパニーを今日のようなものにしたと俺は信じている。
彼がどうやってあれほど多様なサウンドを生み出したのか、俺には言い表せない。彼という存在は、まさに型破りだった。彼が存命のうちにロックの殿堂入りの知らせを伝えることができて本当にうれしかった。彼もその報せを聞いて、とても喜んでいたよ」
■ジェフ・ベック
「ジェフ・ベックは一切の妥協を許さなかった。彼は優れたギタリストの中でも傑出していて、成層圏の彼方、彼だけの領域にいた。
ロッド・スチュワートとやった“Shapes of Things”を聴いてみてほしい。信じられないだろう? あの録音のソロは、間違いなく度肝を抜かれるはず。彼はギター界の圧倒的な怪物だった。同じ時期に彼がやった“Tallyman”のB面曲も聴いてみてほしい。聴けば、俺が何を言っているのか分かるはずだ。言葉では表現できない、もう本当に腹の底から揺さぶられるほど凄まじかった。
2002年、ジェフはロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで数曲一緒にやろうと俺を招いてくれた。彼と同じステージに立つのは、この上なく刺激的な経験で、一生忘れられないものになった。2018年には、ジェフ、アン・ウィルソン、デボラ・ボーナムとツアーをした。ジェフと俺は交互にトリを務めて、ある夜は彼がライヴを締めくくり、次の夜は俺が自分のソロ・バンドで締めた。彼がトリの夜、妻のシンシアとステージ袖でジェフの演奏を聴くのは、まるで夢のようだった。本当に息をのむほど素晴らしかったよ」
■スティーヴ・クロッパー
「スティーヴ・クロッパーは、俺が音楽を聴き、学ぶ上で欠かせない存在だった。彼は曲の感情に寄り添い、俺があらゆるギタリストを評価する上で基準となる黄金の規範であった。彼のプレイには本当に心を動かされたよ。
俺が汗水流して稼いだお金で初めて買ったアルバムであり、音楽における最初の愛でもあるオーティス・レディングの『Otis Blue』において、スティーヴは繊細でありながら強靭なバンドメンバーだった。今でもそのアルバムは手元にある。スティーヴ・クロッパー、ダック・ダン、アル・ジャクソン、そしてブッカー・T・ジョーンズ――“A Change Is Gonna Come”の中核を成すメンバー――が作り上げたクライマックスは涙が出るほど感動的で、バンドはオーティスと共に聴く人の心を揺さぶるような演奏をしていた。
スティーヴは、その感情の高まりにおいて非常に大きな役割を果たしており、まさにここぞという場所で、まさに的確なフレーズを弾いている。ときにはコードを、ときにはリードを。彼はとても、とても抑制が利いていて、必要とされる時以外は派手さや非凡さは一切見せなかった――“Rock Me Baby”のように、信じられないほどのグルーヴを持つ曲こそ、その力が発揮されるんだ。
そしてソロで本領を発揮する時――スティーヴの演奏は、一音一音に意味がある。彼とは何度か一緒に仕事をする幸運に恵まれた。最後の共演は2021年の彼のラスト・ソロ・アルバム『Fire It Up』だった。俺たちは一緒に“She's So Fine”という曲を作った。彼がいないのは本当に寂しいが、音楽への彼の貢献は、これからもずっと記憶され、称えられ続けるだろう」