
David Bowie and Carlos Alomar - GETTY IMAGES
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)の長年のコラボレーターだったギタリストの
カルロス・アロマー(Carlos Alomar)は、米Guitar Playerの新しいインタビューの中で、ボウイとの最初の出会いと最後に会った時を振り返っています。
「RCAスタジオでセッション・ミュージシャンをやっていた頃、デヴィッド・ボウイのアルバム『Diamond Dogs』の制作に呼ばれたんだ。セッションをしていたら、白く透き通るような肌、オレンジ色の髪、フェドーラ帽――何もかも揃った、ひょろひょろの45キロの男が入ってきた。俺は思わず“うわ、お前、ひどい顔色だな。俺の家に来て手料理でも食べなよ”と言ったんだ(笑)。まさか本当にその誘いに乗ってくるとは思わなかったよ。俺たちは本当に、すごく気が合った。
アポロ・シアターに連れていったら(コメディアン)リチャード・プライヤーにも会った。プライヤーはメイン・イングリーディエントの前座をやっていて、俺はそのバンドで演奏していた。それから、ラテン音楽を聴きにラテンのクラブにも連れていった。ただ一緒にぶらついていただけで、仕事なんて一切なかった。
彼の知性は本当にすごかった。チトリン・サーキット(※米国の人種隔離時代に、白人向けの会場に出演できなかったアフリカ系アメリカ人のエンターテイナーたちが巡業した会場やルート)やジェームス・ブラウンについて話をし始めたら、その瞬間、イギリスの連中がどれだけブラック・ミュージックを研究しているか思い知らされたよ。彼の知性や知識の深さに感心しただけじゃなくて、そのアクセントにも感心した。覚えておいてくれ、俺はブロンクス育ちだ。そんな俺が、あの変なアクセントのイギリス人と話しているんだから、すごく興味が湧いたよ。
最終的に、彼はアルバム『Diamond Dogs』を作っているって言ってきただけど、お金がなかった。メイン・イングリーディエントの仕事を捨てて、ノーギャラのデヴィッド・ボウイの仕事を受けるなんて、あり得なかったんだよ(笑)。
だから断った。そしたら、その後、『Diamond Dogs』のアルバムとツアーが終わった頃に、また電話がかかってきて、また断った。彼はとてもがっかりしていた。俺は言ったよ、“結婚してるんだ。こんなに給料が下がるのは無理だ”って。デヴィッドは“そこは僕が何とかする”と言った。それで決まった……彼は本当に何とかしてくれた。そこから俺たちはバンドを組んで『Young Americans』で彼のキャリアを再始動させたんだ。
最後にデヴィッドと話したのは誕生日パーティーのときだった。彼が自らの死に瀕していたとは、その時は気づかなかった。楽しい時間を過ごしたけれど、あれが別れになるなんて思っていなかった。そう、それで終わりだった。あとになって状況を知り、もちろん、深く堪えた。かなり辛い一年だったよ」