Les Claypool and Kirk Hammett
プライマス(Primus) の
レス・クレイプール(Les Claypool) は、
クリフ・バートン(Cliff Burton) が亡くなった後、
メタリカ(Metallica) のオーディションを受けました。クレイプールはリック・ベアトの新しいインタビューの中で、このオーディションについて振り返り、メタリカに加入するチャンスを台無しにした致命的なミスについても語っています。
クレイプールはまず、バートンとの出会いを振り返っています。1986年、プライマスとフェイス・ノー・モアは、サンフランシスコで開催された「バトル・オブ・ザ・バンド」イベントで競い合いました。彼らは無名の第三のバンドに敗れましたが、観客の中にバートンがいて、イベントの後、バートンはクレイプールに近づいたという。
「クリフに会ったのはそれが最初で最後。とても褒めてくれて、本当に感じのいい人で、僕の演奏を楽しんでくれた。でもその数か月後、彼は亡くなってしまったんだ」
しばらくして、クレイプールは幼なじみの
カーク・ハメット(Kirk Hammett) に誘われてメタリカのオーディションを受けることになりました。
「カークから電話が来たんだけど、僕はメタル・シーンについて何も知らなかった。
僕ら(プライマス)はどちらかというと、サンフランシスコでルーターズとか、ビッグ・シティとか、フリーキー・エグゼクティブスなんかがやっていた、いわゆるワールドビート・シーンの一員だったんだ。僕たちはただの変わり者の集まりで、誰も僕たちを誰と組ませればいいのか分からなかったんだよ。
僕は『Ride the Lightning』を持っていた。カークは高校時代からの古い友だちで、彼が自分のアルバムの1枚をくれたんだ。大工の仕事に行く前、毎日シャワーを浴びながら、それをガンガンかけて、気分を盛り上げていたんだ。
でも当時のシーンのことも、彼らの音楽のことも、あまり知らなかった。だから『Ride the Lightning』を覚えなきゃならなかったんだ。『Master of Puppets』もね。
練習しているうち、“マジかよ!これはすごいぞ”って思ったよ。当時僕たちがやってたもの、パブリック・イメージ・リミテッドみたいな音楽と比べて、すごく複雑だったからね。でも、彼らがどれだけ人気があるのかは全然分かってなかった。
それでオーディションに行ったんだけど、左右で色が違うスニーカーに、だぶだぶのチノパンを履いて、ニュースボーイキャップをかぶって、頭は半分モヒカンだった。流木みたいなベースを抱えて歩いて入ると、廊下を通り抜けなきゃいけなくてさ、そしたら、そこにいた人たちから“メンバーの前で緊張しないようにね”と言われた。さっきも言ったように、彼らがどれだけ大物か知らなかったから、僕は“いや、君たちが今緊張させるまで、全然緊張してなかった”と言ったんだ。
それから、(メタリカの)みんなに会って、ジャムを始めたんだけど、実はクリフの機材で演奏したんだよ。 覚えてるのは、弾いてたらカークがこっち見て、“音が大きすぎる。デカすぎだよ”って言うから、ボリューム下げなきゃいけなかった。僕は“わかった”って感じだった。
それで決定的なことをしでかしたんだ。
“よし、For Whom the Bell Tollsやろう”ってなって、僕は“オーケー”って感じで、そこに立ってイントロを待ってた。(ベースのフレーズを口ずさみ)これを弾けるタイミングを待ってた。それが自分のパートの開始だと思っていたんだ。あのイントロがベースだなんて知らなかったんだよ。そしたらジェイムズ(ヘットフィールド)が僕を見て首を振って、そのパートを弾き始めた。そのまま演奏したけど、結局、僕はその仕事をもらえなかったんだ。
“もし採用されれば、大工の仕事を辞められるし、日本に行ける”とワクワクしてた。彼らが最初に計画してたのは日本ツアーだったからね。でもそれは叶わなかったんだ」
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