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トッド・ラングレン、ザ・バンド/ミートローフ/プリンス/XTC/ニューヨーク・ドールズについて語る

2025/10/17 19:54掲載
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Todd Rundgren
Todd Rundgren
トッド・ラングレン(Todd Rundgren)は英ガーディアン紙の企画でファンからの質問に答えています。ザ・バンド(The Band)『Stage Fright』、ミートローフ(Meat Loaf)『Bat Out of Hell』、プリンス(Prince)XTC『Skylarking』、ニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)のデビュー作について語っています。

Q:ザ・バンドが『Stage Fright』を制作していたとき、リヴォン・ヘルムは本当にスタジオであなたを追いかけ回したの?

「そういう出来事があったかもしれない。エンジニアとしての初めての大きな仕事で、僕は生意気なガキだった。たとえば、ガース(ハドソン)のことを“じいさん”なんて呼んで、起きていられないくらい年寄りだろうと思い込んでいたんだ。彼がナルコレプシー(※日中に強い睡魔があり、自分ではコントロールできない眠気が繰り返し起こる睡眠障害)だとは知らなかったんだ。僕はああいうタイプの音楽に入れ込んでいなかったし、ザ・バンドが当時、世界でも有数の大物バンドであることを認識していなかった。

彼らは突然、金もドラッグも酒も取り巻きも全部手に入るようになって、その影響が出たメンバーもいた。リヴォンは麻薬に手を出していたから、彼がスタジオで僕を追いかけ回していたかもしれないが、その一方で、カーテンの山の下で、まるで死んだように眠りこけて過ごしていた。後年、彼らとはみんな友達になった……ロビー(ロバートソン)を除いてね。彼はちょっと気取ったところがあった」

Q:あなたがミートローフの『Bat Out of Hell』をプロデュースしたとき、作曲家のジム・スタインマンは本気だったのですか? それとも、真剣なブルース・スプリングスティーンのパロディだったのでしょうか?

「スタインマンは、僕をスプリングスティーンのコンサートに連れて行ってくれたにもかかわらず、自分がスプリングスティーンの大ファンであることを決して認めなかった。僕の見解では、あれはパロディだった。彼らが曲を聴かせた相手は皆、“曲が長すぎる”“ミートローフは風変わりすぎる”と言っていた。でも僕には、スプリングスティーンのレザージャケットや50年代テイストの文脈で聴いていた。ただし、ニュージャージー出身のハンサムな男じゃなくて、汗だくの巨漢としてね。あまり知られていないけれど、スタインマンには鋭いユーモアのセンスがあって、いちばん真摯な瞬間でさえ、わざとオーバーにやっている。あのアルバムは世界にひとつの力“過剰というブランド”を解き放った。その後のスタインマンの仕事はすべて過剰なものとなった」

Q:あなたのDIY的なアルバム制作手法はプリンスに多大な影響を与えたとされています。ベベ・ビュエルは、若き日のプリンスが公演のバックステージであなたに会うのを待っていたと語っています。これについて何か覚えていますか?

「全く覚えていない。でも、だからといって、それが事実ではないとも言い切れない。プリンスは“全ての楽器を自分で演奏する”というスタイルを、さらに別次元まで引き上げた。僕は、自分が演奏できる範囲を超えて曲を書きたかったし、自分より優れたプレイヤーがいることも理解していた。一方で彼は、演奏者としての自分の能力に合わせて曲を作っていた。だからドラムはシンプルで、スティーヴィー・ワンダーのような、めちゃくちゃファンキーなドラマーとはまったく違う。プリンスの作品のいくつかは素晴らしいと思ったが、歌詞のいくつかは僕にはまったく意味がわからないものもあった。“Purple Rain”が何のことなのか、僕にはさっぱりわからない。汚染か何かの比喩なのかな?」

Q:XTCのアルバム『Skylarking』をプロデュースしてから39年が経ちましたが、今どう思いますか? 難航したレコーディング・セッションと作品を切り離して聴くのは難しいですか?

「アンディ(パートリッジ)は最初からプロデューサーなんて欲しくなかったんだと思う。彼はすでにスティーヴ・リリーホワイトやガス・ダッジョンのような人たちに対して押し通していたからね。僕が『Skylarking』を手がけたとき、ガスからお悔やみの手紙が届いたくらいだよ。すべてが極点に達したのは“Earn Enough for Us”を録った時で、アルバムの中で唯一、彼らが一緒に演奏した曲だった。素晴らしい出来だったが、翌日アンディはコリン(モールディング)にベースパートのすべて差し替えさせた。僕が“ああ神様、せっかくXTCらしいバンドの演奏だったのに…”と言ったら、アンディは激怒した。僕は“君たちのために最高のアルバムを作ろうとしているだけだ”と言ったんだけど、彼は“だったらなぜ、お前の頭を斧で割ってやりたい気分になるんだ?”と言われた。アンディは誰にでも、彼らが作った中で最悪のアルバムだと言っていたけど、後に最高の作品の一つだと認めたと聞いているよ」

Q:ニューヨーク・ドールズのデビュー作をプロデュースしたとき、あのアルバムが、あそこまで物議を醸すとは予想していましたか? ある有名な英国のテレビ司会者は彼らを「偽物のロック」と呼んでいましたね。

「それは的外れではなかったと思う。多くの人々が彼らをパンクロックに分類するのは、ジョン・ライドンがセックス・ピストルズへの主な影響源として彼らを挙げたからに過ぎない。技術的には、ニューヨーク・ドールズはローリング・ストーンズになりたかったんだ。あのアルバム・カヴァーは、まさに『Have You Seen Your Mother, Baby, Standing in the Shadow?』の時代からの直系だ。レスター・バングスのような、よりシニカルなロック批評家が彼らを好んだのは、批評家でも演奏できる音楽、要はスリーコードだったからだ。ドールズは毎晩マックスズ・カンサス・シティではニューヨークのセレブのように振る舞っていたが、実のところ全員ロングアイランドに住んでいて、中には母親と一緒に暮らしているメンバーもいたんだよ」