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『デヴィッド・ボウイ・センター』オープン記念、ナイル・ロジャースが「Let's Dance」の制作について語る

2025/09/17 18:10掲載
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David Bowie / Let's Dance
David Bowie / Let's Dance
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)のアーカイブから集められた9万点もの品々を常設展示する『デヴィッド・ボウイ・センター』が、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)の分館「V&Aイースト・ストアハウス」にてオープンしました。これを記念してV&Aは、ナイル・ロジャース(Nile Rodgers)が「Let's Dance」の制作について語るインタビュー映像を公開しています。

この曲はロジャースが説明するように、当初は現在知られているヴァージョンとは全く異なるものでした。

「スイスにあるデヴィッドの家に滞在した時だった。僕は寝ていた。彼が寝室に入ってきて“ねえ、ナイル、これはヒットすると思うよ”と言ったので、僕は“そうかい、すごいな、聴かせてくれ”と答えた。彼は12弦ギターなのに6弦しかないギターで弾き始めたんだ。“ジャン ジャン ジャン ジャン”とね。

彼はそれを“Let's Dance”と呼んでいた。“え?なんでLet's Danceなの?”って聞いたら、“人々が初めて出会った時、あるいは相手に印象づけようとする時に踊るダンスを基にした曲だからさ”と言っていた。僕は“デヴィッド、僕はダンスミュージックの出身だ。アレンジを任せてくれないか?”と言ったんだよ。

僕たちが決めたこと、少なくとも僕がそう信じていたのは、R&Bとファンクとダンスミュージックがクールに融合した、いわば当時の時代精神を体現したような曲だった。でも彼が演奏したのは、そのコンセプトの正反対のものだった。だから僕はこう思った。“彼は僕を試そうとしている。僕が『ボウイさん、あなたは素晴らしい。あなたと仕事ができて本当に嬉しいです』と言うかどうか試しているんだ”とね。

でも実際、僕が電話で聞いた誰もが“いや、彼はそんな人じゃない。彼がヒットだと思うって言うなら、それは本当に本心なんだ”って言っていたけどね」

ロジャースは、ギター2本、ドラム、ベースのアレンジを書き、モントルーのクイーンズ・マウンテン・スタジオでのデモセッションのために3人のジャズミュージシャンを雇いました。

「僕は“デヴィッド、あの時、寝室で歌った通りに歌ってほしい。この音楽に合わせてね”と言った。事前に彼に聴かせることはなかった。彼が初めて聴いたのは、僕が初めて聴いた時だった。アレンジャーとして頭の中では聴いていたけど、レコーディングスタジオで実際に演奏するまで、本当の意味で聴いたことはなかった。

僕がカウントを取り、小さなドミナントピラミッド(※曲のイントロのこと)のフレーズをやった…ダッ…ダー…ダーーーー。そして、彼は演奏を始めた、“ジャン ジャン ジャン ジャン”と。その瞬間、僕は叫んだ。“ワオー!”とかそんな感じで。すぐにこれは大ヒットになると確信した。最初の部分がこれほど強烈なら、アレンジの後半はとてつもないものになるに違いないから。

デヴィッドは本当に嬉しそうだった。昨日のことのように覚えている。僕は言ったんだ。“これで満足してるの?うちの連中が演奏するのを聴くまで待ってよ”ってね。地元に帰って、僕が一緒に演奏する仲間たちが、僕のアレンジで演奏したら、それは絶対に最高になるって分かっていたからさ」

同じインタビューの中で、ボウイとの個人的な関係について、ロジャースは熱く語っています。

「彼は僕の人生で最高の音楽体験をいくつも与えてくれた。一緒に仕事をするのは本当に楽しかった。彼のプロジェクトに対する抑えきれない熱意は伝染するほどで、“Let's Dance”の可能性に対する彼の揺るぎない信念は、まさに予言的だった」

しかし、ある特定の理由から仕事上の関係は複雑だったとも認めています。

「僕が彼に望んだのは大成功だけだった。だけど、デヴィッドは僕にその原則に反した仕事をしてほしいと思っていたようだった。彼は、誰もがすぐに受け入れられるような曲を作らせようとはしなかった。彼はもっとアバンギャルドなものを望んでいた。

デヴィッドは自腹で楽曲制作の費用を払っていた。僕にはそれが驚きだった。彼にはレコード契約がなかった。絶対に成功させなきゃ。“デヴィッド、どうか信じてほしい。この曲を聴きに来る入札者たちを席から飛び上がらせて驚かせるものにするよ”とね」