
Glenn Hughes and David Bowie, both pictured onstage in 1974 (Image credit: Getty Images)
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)と
グレン・ヒューズ(Glenn Hughes)は70年代からの友人でした。ヒューズはMusicRadarの新しいインタビューの中で、ボウイとの友情を振り返り、ボウイとのレコーディングを断らざるを得なかったことをずっと後悔していること、ボウイのクリエイティブな考え方に大きな影響を受けたこと、ボウイとはどんな人物だったのかを語っています。
ヒューズとボウイの友情は70年代に始まり、2016年にボウイが亡くなるまで親しい関係が続きました。2人が初めて出会ったのは1974年、ヒューズが
ディープ・パープル(Deep Purple)のベーシスト兼共同リード・ヴォーカリストを務めていた頃でした。
彼らはすぐに親しい友人となり、ディープ・パープルが1974年アルバム『Stormbringer』を制作している時、ボウイはヒューズと共にスタジオに行き、バンドが「Hold On」を録音する様子を見守ったという。
「そう、それは本当だよ」とヒューズは認め、「1974年は本当に仲が良かったんだ! だから、彼は何回もスタジオに一緒に来てくれたんだよ」と話しています。
ヒューズは、ボウイとのレコーディングを断らざるを得なかったことをずっと後悔しているという。
「彼は(1975年アルバム)『Young Americans』に参加してほしかったんだ。でもディープ・パープルのメンバーはそれに反対だった。ディープ・パープルのブランドイメージに悪い影響を与えると思ったから。問題を起こしたくなかったから断らざるを得なかったけど、俺は彼らが何を言っているのか理解できなかったよ。あのアルバムはナンバーワンになったんだから、もし俺がそれをやっていれば、むしろ彼らにとって良かったんじゃないかな?」
2人の絆はその後も続き、1976年にボウイがアルバム『Station To Station』を制作していた時、ボウイはヒューズとロサンゼルスで同居していました。
「デヴィッドはあのアルバムを作っていた時、俺の家に滞在していた。ソングライターとして俺はそのプロセスに魅了されたよ」
ヒューズは、ボウイのクリエイティブな考え方に大きな影響を受けたという。
「俺が本当に尊敬する人たち、例えば親友のデヴィッド・ボウイは常に変化し続けていた。俺もずっとそうだった。ボウイと一緒に住んでいた時、彼は“変化し続けなければならない。同じことを繰り返してはいけない”と繰り返し、俺を鼓舞し続けてくれた。だから俺はそれ以来ずっとそうしてきた。ディープ・パープルにいたからといって、脱退後も同じような音楽を作ることを期待してほしくなかったんだよ。
俺は彼のキャリアを通じて、ずっと彼を見てきた。1974年に彼と出会う前から『Space Oddity』を知っていたが、『Station To Station』で、実際に彼が作業する様子や、反応する(あるいはしない)姿を見られたことは、俺にとって非常に重要だった。
人間としての彼の影響は本当に大きかった。それから何十年経った今でも、俺は自分の見え方、感じ方、行動の仕方を変え続けてきた。ステージの上でも下でも、彼の振る舞いを観察するのは本当に興味深かった。彼のような人はこれまでいなかったし、音楽の100年の歴史において、彼のように先駆けて進んだ人はいない。
彼はジギー・スターダストとしてとても有名になったが、その途端、彼はそれを捨てた。彼は、ただひたすら前に進み続け、変化し続けたかったんだ。それ以降、彼のように本当に変化し続けたアーティストはほとんどいない」