
John Lennon and his wife Cynthia, pictured in April 1964. NCJ Archive/Mirrorpix/Getty Images
ジョン・レノン(John Lennon)が1962年4月に滞在中のドイツ・ハンブルクから、後に妻となるシンシア・パウエルを想って書いたラブレターがオークションに出品されます。落札予想価格は4万ポンド(約780万円)。ロンドンのクリスティーズで7月9日に競売にかけられます。
当時21歳だったレノンはこう書いています。
「愛してる、愛してる、愛してる。君に会えなくて狂いそうだ...日曜の新聞とチョコレート、そしてドキドキを抱えて、君のアパートに向かいたい!ああ、そうしたい!」
4ページにわたる手紙の別の部分では、
ポール・マッカートニー(Paul McCartney)のいびきについて愚痴をこぼしています。
「ポールが僕の頭の上で跳ね回ってる(上の段でいびきかいてるんだ)...静かにしろ、Mcarntey (原文ママ) 」
レノンがこの手紙を書いたのは1962年4月19日から24日までの6日間で、
ビートルズ(The Beatles)がハンブルクのスター・クラブで公演を行っていた時期です。この頃、まだ無名に近いバンドは、ドラマーがリンゴ・スターではなくピート・ベストという編成で演奏に励んでいました。
レノンは「クラブは広くて、ある夜は3時間、次の日は4時間演奏する。1時間演奏したら1時間休憩だから、実際にはそんなに長く感じない...くそ、疲れたよ、朝の6時だ、君に会いたい」と手紙に書いています。
彼がこの手紙を書き始めるわずか9日前、バンドの元メンバー、スチュアート・サトクリフが21歳の若さで脳出血により突然この世を去りました。
レノンの手紙は、親しい友人の死、サトクリフの婚約者を訪ねることへの不安に言及しています。
「到着してから、アストリッドには会っていない。会いに行こうと思ったけど、すごく気まずいだろうから…。あまり楽しい話ではないので、これについてはこれ以上書かない」
その後、別の話題に移り、マッカートニーの当時の恋人ドット・ローンとリバプールで同居することをパウエルに思いとどまらせようとしています。
「ドットが君とずっと一緒に暮らすのは気が進まない。だって、そうしたら、本当に二人きりになれなくなるから。僕らがベッドに入っている時、いつも彼女がそこにいるのを想像してみて。それにポールが頻繁に来ることも想像してみて。特に僕がいない時をね」

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