
Thin Lizzy perform at London's Marquee Club, November 13, 1973 (Image credit: Michael Putland/Getty Images)
シン・リジィ(Thin Lizzy)の創設メンバーであるギタリストの
エリック・ベル(Eric Bell)は1973年の大晦日、コンサート中にギターを空中に放り投げ、アンプをすべてステージから蹴り落として、ステージを、そしてバンドを去りました。この公演についてベル本人が米Guitar Playerの最近のインタビューの中で振り返っています。
シン・リジィの活動は「最初は素晴らしいことばかりだった。夢が叶った瞬間だったよ」と語っていますが、しかし次第に酒とドラッグに溺れ始めます。「でもその後は、飲酒量が増え、そして、とても強い麻薬を吸い始めた。それも大量に」。
やがて、ベルはロンドンの屋根裏部屋で一人暮らしをするようになり、孤独に陥っていたこの時期に、彼の薬物とアルコールの摂取は限界を超えてしまいます。さらに状況を悪化させたのは、シン・リジィのツアースケジュールが過酷で、マネジメント側は彼の健康状態を気にしなかったことでした。「俺は次第に道を外れていった。ツアーを数週間休む必要があったが、マネジメントはそれを許さなかった」。
当時はライヴが終わると、すぐにパーティーが始まり、それにより、どんどん悪化していったという。
「ライヴが終わると、俺は自分に言い聞かせていた。“このライヴが終わったら、一杯飲んで、荷物をまとめて、ホテルに戻って、しっかり眠るんだ”と。でも、最後の曲が終わると、ウィスキーが出て、パーティーがまた始まる。酒とドラッグが出てきて、ああ、またここにいる、と思う。止めることができなかった。そして、どんどん悪化していった」
そして、1973年の大晦日にベルファストのクイーンズ大学で行われたコンサートで、ついに頂点に達しました。
「ライヴ会場に早く到着したんだけど、そこには誰もいなかった。楽屋に入ると、あらゆるアルコール飲料が並んだテーブルがあった。俺は“くそっ、冷静になれ”と自分に言い聞かせたが、結局、小さなウィスキーを一杯とギネスの生ビールを一杯飲んで、そして次々と…。ステージに上がる頃には、もう完全に酔っ払っていた。本当にひどい状態だったよ」
シン・リジィのメンバーは酔った状態でパフォーマンスをするのは珍しくありませんでしたが、特にベルはベテランの酒飲みでしたが、この夜は普段とは違っていました。
「自分がどこにいるのかもわからなかった。何をしているのかもわからなかった。絶対にライヴをキャンセルすべきだった。3曲演奏した。その間ずっと、頭の中で声がしていた。“エリック、ここから逃げろ。お前はやりすぎた。病院に行って、2、3週間入院する必要がある”と。続けることができないと分かっていた。演奏中、頭の中はそればかりで、完全に意識が飛んでいた」
ベルはほとんど演奏できず、その結果、ロック史に刻まれる決断を下しました。
「ひどい音だった。だからギターを空中に放り投げて、アンプのところに行って、アンプを全部ステージから蹴り落とした。それからよろめきながら降りて、そのまま倒れ込んでしまった」
ベルのバンドメイトたちが彼の助けに駆けつける、またはローディーたちが倒れたベルのために救急車を呼ぶ、そう思ったかもしれませんが、ベルによると、残念ながら、そうではなかったそうです。
「ローディーの一人が来て“ステージに戻れ!”と叫んだんだ。“上の二人が必死に演奏してるのが聞こえないのか?”とも言った。俺はただ、うめき声しか出せなかった。それから彼らは俺を起こして、ステージに戻し、ギターを俺に返した……それは完全にチューニングが狂っていた。(首を振りながら笑うベルは続ける。放り投げた後)ステージに落ちたから、ギターのチューニングは完全に狂っていた。(どんな音なのか)分からない。きっとラヴィ・シャンカールがアシッドでトリップしたような音だったに違いない。絶対に最悪だったに違いない。
(この公演の後)ロンドンから電話がかかってきた。マネージャーだった。彼らは“エリック、何やってるんだ?”と言った。俺はバンドを辞めると伝えると、“何だって?アイルランドツアーの真っ最中だぞ。バンドを辞めるなんてできない”と言っていた。俺は“辞めたんだ。終わりだ。もうできない”と言うと、彼らは俺が本気で辞めるつもりだと悟り、“それが最後の言葉か?”と聞いた。俺は“そうだ…”と答えた。すると“わかった。ゲイリー・ムーアにツアーを続けてもらう”と言って電話を切ったんだ。
その後、何をしていいか分からず、ただぼんやりと過ごしていた。でもまあ、あの出来事が俺の命を救ったと言えるだろうね。
俺は(酒とドラッグを)やめる意志がなかった。簡単に酔っ払ってしまって、ウイスキーを2、3杯飲んだら、もうどうにでもなるような人間だった。できることと言えば、飲み続けることだけだった。すぐ酔っ払うくせに、飲み続けてしまう。俺はそういう人間だった。
空中に放り投げたストラトは今でも持ってるよ。ようやく俺を許してくれたみたいだ(笑)。でも、本当に大変だった。まともにギターが弾けるようになるまで、すごく時間がかかったよ」