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ドリーム・シアターのマイク・ポートノイ、97年作『Falling into Infinity』は“(売れる為に)魂を売ったように感じた”作品だと回想

2025/05/01 17:52掲載
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Dream Theater / Falling Into Infinity
Dream Theater / Falling Into Infinity
ドリーム・シアター(Dream Theater)マイク・ポートノイ(Mike Portnoy)にとって、レコード会社からよりラジオ向けのアルバムを制作するよう常にプレッシャーをかけられていた時期にリリースした1997年アルバム『Falling into Infinity』は“(売れる為に)魂を売ったように感じた”作品だという。カナダのラジオ番組『Q with Tom Power』のインタビューの中で、当時を振り返っています。

「90年代は厳しい時代だった。俺たちはこの1曲(Pull Me Under)とこの1枚のアルバム(Images & Words)でアメリカですぐにゴールドディスクを獲得する幸運に恵まれた。運が良かっただけで、その後に続くヒットを出すのは難しかった。俺たちはラジオ向けのバンドになるつもりはなかったし、ラジオやMTV向けのバンドでもなかった。あれはたまたまだったんだ。次のアルバムを作ったとき、レーベルは毎回ヒットシングルを欲しがっていた。でも、“いや、それは契約した内容じゃない”という感じだった。俺たちが目指していたものじゃなかったんだ。

『Images and Words』の次回作の頃には売上は70万枚から20万枚に落ちていた。俺たちは大きなファン層を持っていたけど、それを維持し、拡大するために戦わなければならなかった。1990年代後半には、レーベルとの間でまた厳しい状況に直面した。レーベルはゴーサインを出さず、外部のプロデューサーを招いて、よりヒット曲を書くように仕向けようとしていた。俺は“それはこのバンドの真の姿じゃない、俺たちは自分たちらしくあるべきだ”と思っていたんだけどね。

またラッシュの話を持ち出すけど、『Caress of Steel』や『2112』の頃のような状況(※『Caress of Steel』の後、何とかしないと後がない状態だったが、『2112』がヒットした)に、90年代の終わりに自分たちが陥ってしまったんだ。

『Falling into Infinity』は外部のプロデューサーや外部のソングライターと一緒に作ったアルバムで、結局それは失敗に終わった。ファンたちはそれを受け入れなかったし、(売れる為に)魂を売ったように感じた。前に進むために何でもやるしかなかったんだ。

あのアルバムの後はフラストレーションが溜まっていて、辞めたいとも思っていた。“自分たちのやり方でできないなら、なぜ続けるんだ?”と思った。そして最終的に、レーベルや当時のマネージャーに“このバンドを存続させたいなら、俺たちの邪魔をしないでくれ。俺たちが作りたいアルバムを作らせてくれ”と伝えたんだ。そうして1999年に『(Metropolis Pt. 2:)Scenes from a Memory』を作った。それは俺たちを救ってくれたもう一つのアルバムだったんだ」