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デフ・レパードのジョー・エリオット、AC/DCのボン・スコット語る 「ヒーローに会うと、がっかりさせられることもある。でもボンは違った」

2025/02/20 18:29掲載
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Joe Elliott
Joe Elliott
45年前の1980年2月19日、AC/DCのヴォーカリストだったボン・スコット(Bon Scott)が亡くなりました。デフ・レパード(Def Leppard)ジョー・エリオット(Joe Elliott)はMusicRadarのインタビューの中で、敬意を表し、スコットについて語っています。

デフ・レパードはAC/DCのHighway To Hellツアーの英国公演でオープニングアクトを務めました。20歳になったばかりだったエリオットにとって、このツアーは忘れられない経験となりました。

「シェフィールドで初めてAC/DCを観てから2年後、俺たちは彼らのオープニングを務めたんだ。まさに狂喜だったよ」

エリオットが最も鮮明に覚えているライヴは、1978年4月30日にスコットランドのグラスゴーにあるアポロ・シアターで行われた公演で、この模様は録音されてライヴ・アルバム『If You Want Blood You’ve Got It』としてリリースされています。

「俺たちのライヴが終わって、グラスゴー・アポロの観客の中に飛び込んだ。バルコニー席にいたんだけど、彼らが“Live Wire”で演奏を始めたとき、ベースの低音が響き渡って、そのバルコニーが12インチほど上下に揺れたんだ。まるで地震のようだった! バルコニーが崩れるんじゃないかと思うほど、観客は熱狂していた。観客の反応を見て、自分もそんなライヴをしてみたいと思ったよ。今思い返しても、腕の毛が逆立つ。

バンドとしては、そのツアーではAC/DCから多くのことを学んだ。聴衆に対する見せ方、エネルギッシュさ、とかね。

ボンは曲と曲の間によくしゃべっていて、そのやり取りが大好きだった。観客とのコミュニケーションはロックンロールの重要な要素であり、ボンはそれを極めていた。

時には何も言わなくてもよかった。表情で伝えていた。彼は王様だった。俺は彼が歌っていないときに何をしているのかを見ていた。彼はドラム台の前に立つのが常だった。3曲歌うとシャツを脱ぎ、汗だくになり、声には抑えられた攻撃性があった。

彼は努力しているようには見えなかった。まるで水道の蛇口のようで、ただひねるだけで出てくる。彼はそれをするために生まれてきたんだ。

ヒーローに会うと、がっかりさせられることもある。でもボンは違った。

彼は気取り屋の嫌な奴ではなかった。天性の才能の持ち主だった。彼の目にはいつも輝きがあった。ボンはバンドの中で最も社交的だった。いつもニヤニヤしていて、人を食ったような笑いを浮かべていた。彼はクールなロックスターだった。人生のすべてがうまくいっていた時期だった。俺たちは“お前はなんてラッキーな野郎なんだ!”と思っていた。俺たちにとって初めての本格的なツアーだったが、彼は俺たちにとても良くしてくれた。

ある夜、彼はカットオフのデニムジャケットを着てバーに入ってきて、俺たちにお金がないのを知ると、後ろのポケットから10ポンド札の束を取り出した。彼は俺の手に10ポンド札を突っ込んで、こう言ったんだ。“これで飲み物を買え。後で返せよ。またな”。

彼はただ見栄を張っていたわけではない。もっと、ディーン・マーチンのようなクールな感じだった。それがボンだった。ジョン・ボーナムやキース・ムーンのようにシャンデリアにぶら下がったりはしなかった。ボンは酒が好きだったが、ただのワイルドな男ではなかったんだ。

俺にとって悲しいのは、彼にお金を返せなかったことだよ」