元
キッス(KISS)のギタリスト、
エース・フレーリーは(Ace Frehley)、MusicRadarの新しいインタビューの中で、ステージ上で死にかけた瞬間を振り返り、またステージ上で厚底のブーツを履くことも、ロケット弾を発射するギターを使うことも、ひざまずいてソロ演奏することも、痛みを伴うものだったとも語っています。
「あのブーツで、よく転んだよ。本当に何度も。ポール(スタンレー)は、まるでライヴの一部であるかのように、俺のところまで歩いて来てカバーしてくれた。彼はそれを振り付けか何かのように見せてくれたんだ。誰も俺が転んだことに気づかなければ、俺はひざまずいたまま演奏を続け、立ち上がる。そう、それはライヴの一部だったんだ」
70年代、そして90年代にオリジナルメンバーが再結集した後も、エースは「Black Diamond」のアウトロ・ソロの間、ひざまずいて演奏していました。これは計画されていたものでしたが、痛みを伴うものでした。
「それをやったせいで、膝を痛めてしまった。ひざまずくとレスポールの重量で膝が本当に痛いんだよ。リユニオン・ツアーの最中に膝の骨が欠けてしまい、医者からは“いいか、そんなことをしていたら車椅子生活になるぞ”と言われたよ。俺たちは結局、俺が膝をつく場所のカーペットの下にパッドを敷くことにした。それを試してみたが、昔の映像を見ると、俺が片膝ずつ地面についていたのが分かると思うよ」
エースの有名なステージ小道具は、ロケット弾を発射するギターですが、これは危うく大惨事になるところでした。
「ジーン(シモンズ)に向かってロケットを発射したら、もう少しで当たる所だった(笑)。ロケットは彼の頭のすぐそばを飛んで行った。あれが当たっていたら、かなりひどいやけどを負わせていただろうね」
エース自身はいつも幸運だったわけではありません。ロケット弾を発射するギターには発煙筒も装備されており、エースはこう語っています。
「70年代に一度、足にひどいやけどを負ったことがある。発煙筒がギターの空洞の中であまりにも早く点火してしまい、(衣装の素材である)アスベストが溶けて太ももにくっついてしまったんだ」
しかし、エースにとって最も危険な体験は、1976年にフロリダ州レイクランドでのライヴ中に起こりました。アーストラブルにより、階段の手すりが帯電し、エースは感電し、危うく命を落とすところでした。
「あの夜、俺は死んでいてもおかしくなかった。感電しても前に倒れなかったのは、まさに神の思し召しだった。俺を支えてくれた天使がいたに違いない。
俺が感電したのは、階段の上に置かれた4つのマーシャルのキャビネット(スピーカー)の上に立っていたときだった。レスポールを首から提げていたので、体が前に倒れてもおかしくなかったんだけど、倒れなかったんだ。
もし前に倒れていたら、首の骨を折っていただろう。でも後ろに倒れたので、ロードクルーが階段から引きずり下ろしてくれた。5分から10分の間、手の感覚がまったくなかったよ。
それでもライヴは最後までやり遂げたんだ。ライヴが終わる頃、おそらく指の半分くらいしか感覚がなかったと思う。とんでもないことだったけど、“Shock Me”を得ることができたから、無駄ではなかったと思うよ」
「Shock Me」はバンドの1977年のアルバム『Love Gun』に収録されており、エースがリード・ヴォーカルを務めた最初のキッスの楽曲でした。
キッスでの日々を振り返って、エースはこう付け加えています。
「ファンには、俺が本物であることを理解してほしい。俺がやってきたことはすべて作為的でも計画的でもない。すべてが自然発生的なことだった。それが俺という人間だ。ギターの演奏、曲の作り方、ライヴでの演奏、どれをとっても、その自然発生的な部分は変わっていない。
それが魔法のようなものを生み出す。同じことを繰り返しやろうと思えばできるが、いずれ飽きられてしまう。しかし、魔法のようなものを生み出すことができれば、それが本物だ。俺のキャリアはそれを証明している」