パット・メセニー(Pat Metheny)は、
ジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius)、
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)との出会いを英ガーディアン紙の新しいインタビューの中で振り返っています。
メセニーが最初に手にした楽器はトランペットでした。彼がギターに興味を持つようになったきっかけは、ビートルズのテレビ出演でした。
「僕はひどいトランペット奏者だと言われていたので、早く他の楽器に変えたかったんだよ(笑)。12歳の誕生日にギターを買ってもらい、高校時代はずっとギターを弾いていた。でも、トランペットで考える能力は今でも僕の中に残っている。音を出す前に必ず一呼吸置くようにしている。その一呼吸が本当に役に立つんだ」
メセニーは18歳までに神童としての名声を確立し、マイアミ大学に入学する機会を得ました。
「僕の両親にとっては人生で一番幸せな日だった。僕は14歳の時から本を家に持ち帰ったことがなかったので、両親は僕が大学に入ることはないだろうと諦めていたんだ。
マイアミに着いて2日目の夜、僕はジャズクラブに行った。ある男がベースを弾いていたんだけど、まるで宇宙船から降りてきたような感じだった。それがジャコ・パストリアスとの初めての出会いだった」
二人は親しい友人となり、「マイアミビーチでD級セレブが出演するような、くだらないライヴで一緒に演奏するようになった(笑)」という。
それから1年もしないうちに、大学はメセニーを教員として雇いました。彼が19歳になる頃には、今度はバークリー音楽大学が彼を教員として引き抜きました。
「すごい時代だった。当時、僕もジャコもまだ無名で、ただ演奏していただけだったんだ。それから間もなく、ジャコはウェザー・リポートに参加し、デビューアルバムをリリースし、僕もデビューアルバムをリリースした。すべては数ヶ月のうちに起ったんだ」
その後も絶え間ないツアーが続き、パストリアスはドラッグに溺れ、精神状態は悪化しました。1979年、メセニーとパストリアスはジョニ・ミッチェルの『Shadows and Light』ツアーに参加する機会を得ましたが、すでにパストリアスは以前とは違っていました。
「僕はいつも、どうすればいいのかよくわからない場所に飛び込んでみようとする。ジョニとの共演もそのひとつだった。でも、その時点でのジャコは、それまでのジャコとは違っていた。僕は、そのツアーを通じて彼を助けられるかもしれないと思ったんだ」
しかし、パストリアスの精神状態は悪化し続け、1987年、ナイトクラブの従業員との口論の末に亡くなりました。
デヴィッド・ボウイとの共演は、1985年の映画『コードネームはファルコン』のサウンドトラックを共同制作した時でした。
「彼は僕がこれまでに出会った中で最も素晴らしい存在の一人だよ。初めて会ったとき、一緒に映画の編集版を観たんだけど、彼は黄色いメモ用紙に走り書きをしていて、最後には25~30もの素晴らしい曲のアイデアが書き込まれていた。その後、曲のレコーディングに入ったときには、まるで達人の仕事を見ているようだった。彼は2回のテイクで全てを録り終え、僕たちはヴォーカルブースからの映像で彼を見ていた。僕はそれがテレビではなく現実なんだと自分に言い聞かせ続けなければならなかった」