スティーヴ・ルカサー(Steve Lukather)は、
クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)との思い出を綴った追悼文を英ガーディアン紙に寄せています。
「当時、僕は23歳。友人のデイヴィッド・フォスターがクインシーと仕事をしていて、彼に“ルカサーという子を試してみたらどうだ”と勧めてくれたんだ。デイヴィッドの言葉を信じたクインシーは、僕を(彼のアルバム)『The Dude』に起用した。
クインシーについて誰も言わないことのひとつは、彼が素晴らしいキャスティング・ディレクターでもあったこと。彼はあらゆるジャンルのミュージシャンの名簿を持っていたので、特定の素材を手に入れると“よし、この人が適任だ”と決めることができた。クインシーが誰を選ぶかは誰にもわからなかった。僕は若かったので、偉大な人たちと同じ部屋にいるのにクールに振る舞おうとしていた。“ああ、今日はスティーヴィー・ワンダーがキーボードを弾くのか、それはちょっとクールだ”ってね。
彼が僕を使うようになってからは、『The Dude』や『Back on the Block』といった彼のアルバムや、マイケル・ジャクソン、ジェームス・イングラム、ハービー・ハンコックなどのソロの仕事をしていた。僕たちは(キーボーディストで作曲家、音楽プロデューサーの)ロッド・テンパートンと一緒に素晴らしい仕事をたくさんした。彼は楽譜を読むことも書くこともできなかったけど、アイデアを歌ってみせてくれた。彼とクインシーは2人だけで、秘密の言語のようなスタイルを生み出していた。(エンジニアの)ブルース・スウェディーンは、クインシー楽曲のプロダクションサウンドに大きく貢献していた。あのチーム全体が本当に魔法のようだった。
クインシーはスタジオの雰囲気を作っているだけ。素晴らしい食事を用意し、皆が快適で幸せに感じられるようにしていた。それが素晴らしい創造的な体験につながるんだ。彼は僕たちにパート譜を書き起こすことはせず、自由にやらせてくれた。コードシートを渡して“みんな、どうだ? いいものを作ってくれよ!”と言う。そして、全体を把握し始めると、彼は素晴らしいディレクターになる。“よし、いいぞ、気に入った。やってくれ”ってね。
クインシーから僕とジェフ・ポーカロに電話があって、“マイケルの新しいアルバムを作っているんだ。参加してほしい。最初にやるのはポール・マッカートニーとのデュエットだ”と言われてた。それは『Thriller』の“The Girl Is Mine”だった。僕たちは冗談だろうと思った。クインシー、マイケル、ポール・マッカートニー、1982年にはこれ以上の組み合わせはないからね。僕たちは興奮した。確かに、この曲は少し馬鹿げている。正直に言ってね。あれは僕がビートルズのメンバーとの最初の出会いだった。ビートルズは僕が演奏を始めたきっかけとなった存在だから、本当に大きな出来事だった。ポールとリンダが部屋に入ってくると、まるで空気が変わったような、はっきりと感じられる変化があったよ。
(中略)
“Beat It”では、マイケルのリード・ヴォーカルとエディ・ヴァン・ヘイレンのギター・ソロは、数小節のオーバーダビングを行っただけで、クリック・トラックは使用しなかった。ジェフはクリック・トラックを作ってからドラム・パートを作り、僕はエディのソロが乗ることを知っていたので、かなりワイルドなギター・パートをたくさん演奏した。本物のハードロック、4トラックのリフをやった。クインシーはそこにいなかった。その後、彼はウェストレイクで“Beat It”のオーバーダブを録音していた。僕らは“Beat It”を修正していた。彼と電話で話していたら、彼は“メタルすぎる。もっと落ち着かせろ。ポップラジオで流れるようにしないと!小さいアンプを使って、あまり歪ませないように”と言ったんだよ。
クインシーは、演奏も作曲もしないでソロ・アルバムを作れる唯一の人物。彼が何をしようとも、演奏も歌も作曲もしなくても、そこには必ずクインシー・ジョーンズのサウンドがあった。彼はディレクターだった」