米国ポピュラー音楽界の重鎮
クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)が死去。ジョーンズの広報担当によると、ジョーンズは11月3日の夜、ロサンゼルス市ベルエアの自宅で家族に囲まれながら息を引き取りました。死因は明らかにされていません。91歳でした。
以下、ジョーンズの広報担当アーノルド・ロビンソンが発表した家族の声明より。
「今夜、私たちは胸がいっぱいで、そして張り裂けそうな思いで、父であり、兄弟であるクインシー・ジョーンズの訃報を皆様にお伝えしなければなりません。
私たち家族にとって信じられないほどの大きな損失ですが、私たちは彼が歩んできた素晴らしい人生を祝福し、彼のような人物は二度と現れないことを知っています。
彼は本当に唯一無二の存在であり、私たちは彼がいなくなることを心から寂しく思います。彼の存在の本質である愛と喜びが、彼が創り出したものすべてを通じて世界と共有されていたことを知ることで、私たちは慰めと大きな誇りを感じます。彼の音楽と限りない愛を通じて、クインシー・ジョーンズの心は永遠に鼓動し続けるでしょう」
クインシー・ジョーンズは、60年にわたるキャリアの中で、ミュージシャン、ソングライター、プロデューサー、指揮者、アレンジャー、アーティスト、レコードレーベルのオーナーおよび経営者、テレビ/映画プロデューサー、雑誌出版者、人道主義者など、多くのクリエイティブな役割を担った音楽界の巨人だった。
ジョーンズは1933年米国シカゴ生まれ。12歳でトランペットを始める。バークリー音楽大学卒業後、ジャズ界でデビューを飾って以降、1950年代から現在まで、プレイヤー、アレンジャー、プロデューサーなど多岐にわたる活躍を続けた。
マイケル・ジャクソンのアルバムや、チャリティソングの先駆けとなった「We Are The World」(1985年)のプロデュースなどで、その手腕と実績は世界中の人々の知るところとなり、グラミー賞を28回受賞。受賞28回という記録は、ビヨンセ(32回)と指揮者のジョージ・ショルティ(31回)に次いで3位である。
音楽活動の一方、一貫して社会貢献とチャリティ活動に取り組み、アムネスティ・インターナショナルやユニセフからも賞を授与されている。