Grand Funk Railroad, 1970
1960年代の終わり頃、
レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のオープニング・アクトを務めた
グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad)は、ZEPよりも良いパフォーマンスをしたため、ZEPのマネージャーがライヴを途中で無理やり打ち切ったことがあったという。『Beyond the Vibe Podcast』に出演したレイルロードの
マーク・ファーナー(Mark Farner)が当時のことを振り返っています。
「僕らはレッド・ツェッペリンのオープニングを務め、オーディエンスはそれを気に入っていた。小さなクラブからクリーブランド・オーディトリアムで公演をやるようになった。“Inside Looking Out”をやったときなんて、もう、会場がひっくり返ったよ。みんな叫んで、飛び跳ねて、床を叩いて、もう大騒ぎさ。最高だったよ。
翌晩、俺たちはデトロイトに到着し、地元の観客の前で演奏した。ここは俺たちの故郷だ。バンド結成以来、ミシガン州では演奏していなかった。そして今、俺たちはレッド・ツェッペリンと一緒にいる。だから、地元のファン、俺らを愛してくれるファン、みんなのために、俺らはそこにいた。ミシガン州フリント出身のバンドとして、世界中の人々に知ってもらうためにね。彼らは俺たちをさらに高く、高く押し上げてくれた。
でも、“Inside Looking Out”に入る前に...彼らはセットリストを把握していた。
(レッド・ツェッペリンのマネージャー)ピーター・グラントが俺らのマネージャーであるテリー・ナイトにこう言ったんだよ。“中止だ。お前はバンドはステージから降させろ”。電源が落ちた。聴こえるのはドラムの音だけだった。“一体何が起こったんだ?”と思ったよ。振り返ると(ドラマーのドン)ブリュワーが演奏しているが、彼はどうしたらいいのか分からなかった。
そして、テリーが歩いて出てきた。彼はマイクを手に取り、マイクをオンにして“契約上の義務により、グランド・ファンクは退場しなければならない”と言い、そして、俺たちに向かって“さっさとステージから降りろ”というようなジェスチャーをしたんだ。
観客は“ノー!ブー!”と叫び、そしてワインボトルやウイスキーボトル、ビール瓶を投げ始めた(笑) ガラスが飛び交い始めた。観客はそれを気に入らなかったんだ。
1時間半後には、観客の半分以上が帰ってしまった。オリンピアはとても大きな会場だったけど、そのせいで、観客の半分以上が帰ってしまったんだ。
(グランド・ファンクのベーシスト)メル・サッチャーと俺は“見てみろよ、客が誰もいないじゃないか。後ろからこっそり降りて、できるだけ近くまで行こう”と言った。
俺たちはレッド・ツェッペリンを2、3曲見て、ペイジがヴィオラの弓でギターを弾くところや派手なパフォーマンスを観た。俺らは彼らを観て“ああ、彼らはかなりいい音を出しているけど、プレッシャーに耐えられなかったんだな”と思った。彼らのマネージャーは耐えられなかった。 俺は彼らがかなりいい人たちだと思った。 彼らとつるんだり、話したりしたことは一度もなかったけどね。 でも、そういうことがあったんだ」