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“デヴィッド・ボウイの左眼の色を変えた男”ジョージ・アンダーウッドが当時を回想 ボウイは「君には感謝している」と彼に話していた

2024/09/24 12:50掲載
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David Bowie - Getty Images
David Bowie - Getty Images
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)は左右の眼で虹彩の色が異なりました。これは学校時代に友人との喧嘩で負傷し、その後遺症によるものです。“ボウイの左眼の色を変えた男”として知られる、ボウイの友人で、ボウイ作品のジャケット・カヴァーを手がけたアーティストのジョージ・アンダーウッドが、英BBCの新しいインタビューの中で当時を振り返っています。

アンダーウッドがデヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズ(デヴィッド・ボウイ)と初めて出会ったのは、ボウイがロンドン南部のブリクストンから、静かな郊外のブロムリーに引っ越して間もない頃でした。

「ボーイスカウトの入団手続きをしているときに知り合ったんだ。当時9歳だった僕らは、音楽やテレビでやっていたこと、その頃に流行っていたことについて話し始めたんだ」

2人はすぐに親友になり、「いつもふざけていて、よく笑っていた」という。

「いつも一緒にいて、とても仲が良かった。ブロムリー・ハイ・ストリートを、おしゃれな服装で行ったり来たりし、自分たちは神の贈り物だと思い込み、女の子たちに声をかけては、北のウィンピー・バーから南のウィンピー・バーまで歩き回っていたんだ」

2人はブロムリー・テクニカル・カレッジ(現レイブンズ・ウッド・スクール)に通っていました。アンダーウッドがボウイの外見を変えてしまったのは、2人が同時に好意を抱いていたキャロルという名の女の子を巡って口論になったことがきっかけでした。

キャロルの15歳の誕生日パーティーで、2人はキャロルを口説こうとしましたが失敗に終わりました。次の日の夜、アンダーウッドはキャロルにアピールしようと、ユースクラブで会う約束を取り付けますが、しかし、その後、ボウイは彼女の気が変わって、自分とデートに行くことにしたとアンダーウッドに告げました。

「その後、僕はそれまで一度も行ったことがなかったので、ユースクラブに行ってみることにした。すると、彼女の友人が大声で叫びながら出てきた。“どこに行ってたの? キャロルは1時間以上もあなたを待っていたのよ!”。僕は“まじか。デヴィッドがとんでもない嘘をついたんだ”と思った」

アンダーウッドは、別の友人から「彼を痛めつけてやれ」とけしかけられ、学校の休み時間にボウイがキャロルと一緒だったと偽って自慢しているのを聞いたため、「彼のもとへ行き、彼の目を殴った」という。

そのパンチは左眼の瞳孔に永久的な損傷を与え、明るい光の下でも瞳孔が収縮しなくなったため、その眼は右眼とは異なる色に見えるようになりました。

それでも2人はすぐに仲直りしました。

「本当にひどかった。当時は嫌だった。でも、後になって驚いたこと、彼はこう言ったんだよ。“これのおかげで、ミステリアスな別世界の雰囲気を醸し出せるようになった、君には感謝しているよ”」

ボウイとの交流はその後も続きました。

アンダーウッドも音楽活動をしていましたが、1枚のソロアルバムをリリースした後、「音楽業界は自分には向いていない」と判断し、芸術の勉強に戻り、画家になりました。しかし、音楽業界から遠ざかることはありませんでした。

「ある日、デヴィッドから電話があって、“ジョージ、僕の友達がアルバムを録音したばかりで、そのジャケットをデザインしてくれる人を探しているんだけど、君が適任なんじゃないかと思ったんだ”と言われたんだ」

その友人はマーク・ボランでした。アンダーウッドはティラノザウルス・レックスのアルバム『My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now They're Content to Wear Stars on Their Brows』のジャケット・カヴァーを手がけました。

その後、ボウイはアンダーウッドに自身のアルバムのジャケット・カヴァー制作を依頼し、『Hunky Dory』や『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』を手がけました。またプロコル・ハルム『Shine On Brightly』やモット・ザ・フープル『All the Young Dudes』などのジャケット・カヴァーを手がけました。

思春期のいざこざはさておき、アンダーウッドとボウイは、2016年1月にボウイがニューヨークで亡くなるまで、何十年にもわたって友人関係を続け、一緒に休暇を過ごしたり、定期的に「くだらないメール」をやりとりしていたという。

「あまりにも早く亡くなってしまったので、とても寂しい。彼は一緒にいると本当に最高で、いつも一緒にいて楽しい人だった。僕たちはよく笑っていた。彼が鏡を見るたびに、僕のことを考えているのかどうか、よく気になっていたよ」

彼は今でも、眼の事件が頭から離れないそうで、「それ(“ボウイの左眼の色を変えた男”)が自分の墓碑に刻まれているのではないかと、少し心配しているんだ」と付け加えています。