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ビートルズ『サージェント・ペパーズ』発売から数日後にジミ・ヘンドリックスが公演で表題曲をカヴァー その舞台裏をエディ・クレイマーが回想

2024/08/28 15:18掲載
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Jimi Hendrix
Jimi Hendrix
ビートルズ(The Beatles)がアルバム『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』をリリースしてから数日後、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)はコンサートで、ビートルズのメンバーが客席にいることを知り、『サージェント・ペパーズ』のタイトル曲をカヴァーしました。その舞台裏を、ヘンドリックス作品でも知られる名プロデューサー兼エンジニアのエディ・クレイマー(Eddie Kramer)が英Classic Rock誌の新しいインタビューの中で振り返っています。またヘンドリックスとの初めてのレコーディングや、もしもヘンドリックスが今も生きていたら何をしていたと思うかについても語っています。

●「サージェント・ペパーズ」

「1967年6月にジミがサヴィル・シアターで演奏した時にもそこにいた。彼はビートルズが客席にいることを知っていた。彼は『サージェント・ペパーズ』の先行盤を持っていた。

僕はジミと仲間たちに会うために裏階段を上った。すると、彼は隅っこに座っていて、小さなフィリップスのレコードプレーヤーで、彼は『サージェント・ペパーズ』のオープニング曲を流して、それからギターを手にして、他のメンバーを見ながら“こんな感じだな”と言っていた。彼らは5分ほどリハーサルをして、それから階段を駆け下りてステージに飛び上がり、その曲でオープニングを飾ったんだ。観客はみんな、唖然としていたよ」



●ヘンドリックスとの初めてのレコーディング

「オリンピック・スタジオがハマースミスに移転した1967年1月の終わり頃、フロントから電話があった。スタジオを経営していたアンナ・メンジースは“エディ、でっかい髪のアメリカ人の男がいるんだけど、どう?  どうせ変なことばかりやっているんだから、彼をやってみたら?”と言っていた。それでヘンドリックスをやることになったんだ。

彼がスタジオに入ってきて、隅っこに座り、レインコートを着込んで縮こまっているのを見たのを覚えている。一言もしゃべらなかった。僕は、アンプの準備をするために走り回っていた。ジミは立ち上がってコートを脱ぎ、ギターを手に取り、プラグを差し込んだ。僕はおそらく180センチほどの距離に立っていたと思う。彼がコードを弾くと、それは忘れられない音だった。僕の脳細胞に刻み込まれた。まるで小惑星が衝突したような衝撃だった。

ジェームズ・マーシャル・ヘンドリックスとの最初の思い出は、彼のユーモアのセンスだ。彼は地球上で最も愉快な人間の一人だった。スタジオの状況が悪くなると、彼はバットマンのテーマや番組テーマを演奏していた。そしてバンドはすぐにそれに飛びついた。彼はコードを弾くとき、あるときは真面目に、そしてあるときは狡猾に(ウインクを)する。彼は、自分がみんなを惑わせているのを知っていたんだ。そのうち、アウトテイクを全部まとめたいね。僕たちは音楽に対しては真剣だったけど、いつも笑っていたんだ。

ジミ・ヘンドリックスの演奏を見ていると、まるでニューロンが脳から体全体、手や指を通ってギターの先まで、時速100万マイルの速さで動いているような感覚を覚える。スタジオには3つの大きなスクリーンを設置した。誰も彼が歌っているのを観ることができなかった。彼は自分の声が嫌いで、耐えられなかった。だから照明を全部落として、彼はスクリーンの周りに頭を突っ込んで“これでいいかい?”と聞いていた。僕は“ああ、素晴らしいよ、ジミ”と答えても彼は“もう一度やる”と言う。ギターソロも同じ。彼から溢れ出るように演奏され、それは本当に素晴らしかった。そして、彼はまたやるんだ!」

●もしもヘンドリックスが今も生きていたら何をしていたと思うか

「(彼が若くして亡くなったことは)残念なことだが、彼が4年間、僕たちと一緒にいて、素晴らしい音楽を創り上げたという事実... そして、それは今も生き続けている。生きて、呼吸している。

ジミは、自分の映画会社や出版社を持ち、まだ音楽を作り続け、若いアーティストと仕事をしていたかもしれない。

彼はラップやヒップホップを受け入れていただろう。彼はスポンジのように音楽を吸収していたから、それらはすべて彼が作り出したものの一部になっていただろうね。

『Are You Experienced』から『Axis』『Electric Ladyland』とアルバムを聴くと、曲線を描くように音楽がシフトし、変化していくのがわかる。『Band Of Gypsys』はどうだろう?あれは急進的な変化だったが、素晴らしいものだった。80歳になった彼を想像することができるよ」