エイドリアン・ブリュー(Adrian Belew)は米Guitar Worldの最近のインタビューの中で、
フランク・ザッパ(Frank Zappa)との共演は「人生のレッスンだった」「学校だった」と振り返り、ザッパを卒業した直後の
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)との共演では「ボウイは僕に翼を伸ばして飛び立つことを常に後押ししてくれた」と振り返っています。
「僕にとって、フランクの仕事は人生のレッスンだった。どうすれば音楽業界でやっていけるか、どうすればプロのツアー・ミュージシャンになれるか、どうすれば世界中を旅できるのか、などね。
自分のビジネスをどのように運営するか、ということだった。音符やサウンドとはあまり関係のないこと多くのことを学んだよ。
でも、もちろんフランク・ザッパの楽曲を5時間分覚えるのは、僕にとっては年中無休の仕事だったよ。
バンドの中で楽譜が読めないのは僕だけだったので、追いつくのに必死だった。フランクは、自分の音楽を正確に、そして一貫性を持って演奏することを望んでいた。彼は、“ねえ、これをやってみたいんだけど、どうかな?”と言ってくれるような人ではなかった。
それはフランクのやり方ではなかった。彼はすべてにおいて自分の思い通りにしたいと考えていたし、それを正しく演奏し、時間通りに演奏し、酔っぱらって演奏したり、そういった愚かなことをしない演奏者を求めていたんだ。
それは学校で、僕はそこを卒業した。それまでは誰も教えてくれなかった。ギターの弾き方さえもね。自分でやり方を考え出した。フランクのような偉大で天才的な人に、何をすべきか教えてもらったり、コツを教えてもらったりすることは、バンドにいることよりも重要なことだった。信じられないような個人指導だったんだ」
ザッパを卒業したあと、デヴィッド・ボウイとはすぐに仕事をするようになり、ボウイの1979年のLP『Lodger』に貢献しました。ザッパとの仕事は、ボウイとの仕事への準備になりましたか?と尋ねられたブリューはこう話しています。
「デヴィッドはギターで暴れてくれる人を求めていた。それが彼が必要としていたことで、フランクは僕にそれを求めなかった。彼は僕がたくさん歌い、自分のパートを演奏することを求めていた。デヴィッドは僕に翼を伸ばして飛び立つことを求めていた。彼はそれを常に後押ししてくれた。
いくつかの動画で、僕がソロを演奏しているときにデヴィッドが腕を組んで立っていて、チェシャ猫のようににこやかにしているのを観ることができる。彼はそれが大好きだった。彼は人々が自由に振る舞うのを見るのが大好きだったんだ。
それは彼がやっていたことと一致していた。デヴィッドの音楽はいつも不思議なほど主流でありながら、それでいて本当に突飛だった。特にあの時期はね」