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デヴィッド・ボウイを支えたリズム・セクションのD.A.M.トリオ、「忘れ物」がなければ存在しなかったかもしれないとジョージ・マレー語る

2024/04/12 13:59掲載
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David Bowie with George Murray on bass, 1976
David Bowie with George Murray on bass, 1976
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)を支えたリズム・セクションのD.A.M.トリオは、じつは、ある偶然がなければ存在しなかったかもしれないという。トリオのひとり、ベーシストのジョージ・マレー(ジョージ・マーレイ/George Murray)は、外出中に忘れ物に気づいて家に戻らなければ、誘われた電話を危うく逃すところだったと、米Guitar Worldのインタビューの中で話しています。

マレーは、『Station to Station』(1976年)、『Heroes』(1977年)、『Lodger』(1979年)など、1976年から1980年にかけてボウイの6枚のスタジオ・アルバムに参加しました。

「電話がかかってきたんだけど、その日は危うく電話を逃すところだったんだ。もう少しでそうなるところだった。

ニューヨークで(ドラマーの)デニス・デイヴィスと(ギタリストの)カルロス・アロマーに会っていたから、カルロスとデニスがデヴィッドと一緒にライヴをやっていたことは知っていた。

1975年9月のある日、ニューヨークは暖かかったので、僕は両親と一緒に暮らしていた家を出た。バスに乗るために歩いていたんだけど、忘れ物をしてしまったんだ。それが何だったのかは覚えていない。

車道を歩いて家に戻ると、キッチンの窓が開いていて、父が“ちょっと待ってくれ、ちょっと待って、ここにいるぞ”と言うのが聞こえた。中に入ると、父が僕に電話を渡してくれた。

デヴィッドがベーシストを探していることを教えてくれたのはデニスだった。アルバム(『Station to Station』)の制作のためにロサンゼルスに出てこないかって誘われた。僕は“もちろん”と答えた。それで飛行機に乗って、2、3日後にはロサンゼルスにいたんだ。

オーディションだと思っていた。デヴィッド・ボウイと、僕の友人であるカルロス・アロマーとデニス・デイヴィスと一緒にデヴィッドのレコーディングに参加するためのオーディションを受けているようなものだった。ツアーのオファーをもらうまでは、この経験をほとんどオーディションのようなものだと思っていたんだ」