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モット・ザ・フープルを救ったデヴィッド・ボウイ作「すべての若き野郎ども」 イアン・ハンターらが当時を改めて回想

2024/01/16 15:03掲載
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Mott The Hoople / All the Young Dudes
Mott The Hoople / All the Young Dudes
モット・ザ・フープル(Mott The Hoople)の解散の危機を救った曲「All the Young Dudes(邦題:すべての若き野郎ども)」。この曲を提供したのは、彼らのファンだったデヴィッド・ボウイ(David Bowie)でした。モット・ザ・フープルのメンバーは、英ガーディアン紙の新しいインタビューの中で、この曲について改めて振り返っています。

■イアン・ハンター(ヴォーカル)

「俺たちはお金を失い、アイランド・レコードは俺たちに我慢できなくなっていた。彼らはスイスのベルンにある(ナイトクラブ)Gaskesselで演奏するよう、俺らをブッキングした。Gaskesselはガソリンタンクのような場所だった。俺たちはもううんざりだったので、解散することにした。すべての緊張が解け、俺たちは終わった。帰路はとても楽しかった。

ベーシストのピート・オヴァレンド・ワッツはデヴィッド・ボウイに電話して、ベースを弾く仕事を彼に頼んだ。そのころ、デヴィッドは自分のバンドを結成していた。その後、ピートは俺に電話をかけてきた、“ボウイは俺たちに解散してほしくないと言っている。彼は俺たちのために曲がある”と言われた。

デヴィッドは(イングランドの都市)ギルフォードにドレスアップして会いに来てくれた。みんなでリムジンに乗ったのがとても印象的だった。デヴィッドとアンジー・ボウイが俺の両脇にいた。アンジーは“準備に4時間もかかったのよ”とささやいた。

デヴィッドは最初に“Suffragette City”を勧めてきたけど俺は断った。それからリージェント・ストリートの部屋に入って、デヴィッドが床に座って、俺たちに“All the Young Dudes”を演奏してくれた。背筋が凍った。素晴らしい曲だと思ったし、自分にも歌えると思った。

デヴィッドのマネージャー、トニー・デフリーズは、俺たちをなんとかアイランドから引き抜き、CBS/コロンビアと契約させてくれた。デヴィッドはオリンピック・スタジオで数日でこの曲を作った。ヴォーカルは3テイクやったと思う。冒頭のセリフは、25歳まで生きて終わりにしたい子供のことを歌っているんだけど、この曲が何を意味しているのか深く考えたことはなかった。“Dude”はアメリカ的な表現だった。“ウェンディは、マークス&スペンサーから服を盗み”という歌詞を、広告規制に抵触しないように“ウェンディは無施錠の車から服を盗み”に変えなければならなかったが、今日ラジオで流れているのは“マークス&スペンサー”ヴァージョンのようだ。

エンディングの呼びかけは、以前ニューヨークのギグでやったものだ。よく観客に卑猥な言葉を浴びせて笑いをとっていたんだ。俺は“おい、メガネをかけたお前。何年も前からこれをやりたかったんだよな”と叫び、そのかわいそうな子供の頭にビールを注いだ。楽しかった。それからパーティーをして、朝の4時に出てきたら、その子がサインを求めて立っていたんだ。70年代だった!」

■ヴァーデン・アレン (ハモンド・オルガン)

「僕たちはサイレンスというヘリフォードシャーのバンドだったんだけど、新しいマネージャー候補のガイ・スティーヴンスに会いにロンドンに行く直前に、ヘレフォードでケンカがあった。ヴォーカルのスタン・ティピンズが仲裁に入ったんだけど、誰かが彼の口を叩いて顎の骨を折ったんだ。それでガイを訪ねたとき、彼はティピンズの代わりに別のシンガーを迎え入れ、名前を変えることを提案した。イアンがオーディションを受けに来て、彼はモット・ザ・フープルのフロントマンとして完璧だったし、僕たちはイアンにとって完璧なバンドだった。だから僕は“自分たちが望んでいたヒット曲を出せなかったのに、どうして解散するんだ?”と思ったのを覚えているよ。

ボウイは僕たちのアルバム『Brain Capers』を気に入ってくれて、僕たちに会いに来てくれた。そして、こう電報を打った。“君のヒットシングルを書いたよ”。彼はすでにスタジオを予約していた。アイランドは何も知らなかった。CBSはボウイを断っていたのに、僕らがCBSに入ることになったのはおかしかった。彼のマネージャーがCBSに尋ねたんだ。“モット・ザ・フープルも逃すつもりか?”とね。ボウイの名前と、僕たちのライヴの人気は、僕たちが話題になっていることを意味していた。

“All the Young Dudes”のレコーディングの時、ボウイは僕にギターに合わせてオルガンを弾いてほしいと言った。それはかなり難しいと思ったので、ミック・ラルフスがギター・パートに集中できるようにコードを押さえることを提案した。うまくいったよ。ボウイはもっと商業的なサウンドにしたかったようだけど、ミックスに問題があったので、デヴィッドはトライデント・スタジオに持ち込んでミックスをやり直した。そのリミックスを聴いたCBSの人が“君たち、ヒット・シングルができたぞ”と言っていた。

この曲は、グラム・ロックが爆発的にヒットした真っ最中にリリースされた。ピートは8インチの上げ底ブーツを手に入れたが、それはベースの重さで観客の中に倒れこんでしまうほどの高さだった。ある夜、僕は青いジギー・スターダストのジャンプスーツを着たボウイとピザを食べに行った。彼は食事をしていなかったので、栄養失調で苦しんでいて、歯から血が出ていた。ジュークボックスには彼のヒット曲“Starman”があって流れているとき彼は言った。“君の曲ももうすぐそこにあるよ”。僕は彼に、最初のヒット曲を自分たちで作れたらよかったのにと言った。彼はそれを理解してくれた。“All the Young Dudes”は、バンドから生まれたすべてのヒット曲のための道を開いてくれた。僕たちのためにそれを書いてくれた彼に感謝することができてよかった。素晴らしいものだったよ」