「彼は“ティナ・ターナーをプロデュースしているんだ。彼女のための曲はあるかい?”と言っていた。僕たちはニューヨークで『Reckless』を仕上げようとしていて、僕は彼に“ない”と言ったけど、ティナが僕の曲で歌ってくれるかもしれないと思ったので、“It's Only Love”を送ったんだけど、返事はなかったんだ」
スタジオに入って初めて“It's Only Love”は僕のピッチ(音の高さ)の曲だと気づいたんだ。彼女のために作られたものではなかった。僕は当時24歳、部屋に入って彼女に“ティナ、君が僕のメロディーを歌ってもうまくいかないんだ。君のやり方で歌ってほしいんだ...”と言わなければならなかった。その後、僕はティナ・ターナーになりきって歌い始めた。彼女はそのまま行って、自分の仕事をした。彼女が別れを告げた後、僕は共同プロデューサーだったボブ・クリアマウンテンに向かって“問題なかったと言ってくれ”と言った。テープを再生すると、そこにはセンセーショナルな瞬間があったんだ」