デヴィッド・ボウイ(David Bowie)の長年のプロデューサー、
トニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)は、英MOJO誌のインタビューの中で、「ラスト・アルバム『★(Blackstar)』を作った彼は、『Space Oddity』を一緒に作った頃とどう違っていましたか?」と質問されて、こう答えています。
「彼に会った時、デヴィッドは熱心な若者で、とても熱心で、アメリカ人にはほとんど会ったことがなかったから、彼は僕にべったりだった。話し始めたら、好きなものが同じだということがわかった。成功する前、数年はただの友達だった。同じ屋根の下で暮らすことで、僕たちの友情はさらに深まった。ハドンホールはいつも来客があったので、オープンハウスのようなものだった。ある時、素晴らしいクィッフ(※髪型 ポンパドール)をした男が来たことがあったんだけど、デヴィッドはその訪問中、ずっと彼をじっと見つめていた。そして彼が帰るとすぐにデヴィッドはバスルームに駆け込み、髪をクシで整えて、その髪型にしたんだ。彼はどんな影響に対しても常にオープンだった。彼のアンテナは常に上がっていた。
そして後年、富と名声によって、彼は、僕の領域を超えた人々、つまり超有名な俳優や億万長者などの人々の輪に入ることになった。彼はアートの世界で活躍した。彼はどんな話題でも雄弁に語り、どこにでも馴染むことができた。もしロンドンっ子たちと一緒にいたら、ブロムリーから来たような話し方に戻るだろう。晩年の彼には重厚さがあり、深い知性の持ち主だった。
『Blackstar』をレコーディングしたとき、自分の時間が限られていることが分かっていても、ユーモアのセンスを止めることは一切なかった。彼はまだとてもオープンでフレンドリーだった。彼は皆に“健康上の理由で毎日スタジオに来ることはできない”と言っていたが、彼はスタジオにいることを何よりも喜んでいた」