ラッシュ(Rush)がシンセサイザーを導入しサウンドを刷新した1982年アルバム『Signals』。バンドのギタリストである
アレックス・ライフソン(Alex Lifeson)は英Classic Rock誌のインタビューの中で、シンセサイザーを大胆に導入したオープニング曲「Subdivisions」を振り返り、制作の裏側であった戦いについて語っています。
ライフソンと
ゲディー・リー(Geddy Lee)は、前作『Moving Pictures』のツアーの合間を縫って次のアルバムの曲作りを始めました。
「サウンドチェックは、アイデアを出し合う最高の機会だった。数曲をフルで演奏するんだけど、曲作りも少しやった。僕らのアルバムにどこかに収録されることになったアイデアの断片が入った古いカセットがどこかにあるはずだよ」
1981年後半、ラッシュはライヴ・アルバム『Exit...Stage Left』の制作のために
テリー・ブラウン(Terry Brown)と、ケベック州の山奥にある滞在型レコーディング施設、ル・スタジオで再会します。
そこで
ニール・パート(Neil Peart)がこの曲の歌詞を書き始めます。歌詞は、郊外での疎外感やアウトサイダーであることの本質ををめぐって展開し、トロントの郊外で育ったラッシュの3人にとっては身近なテーマでした。
パートは後に日記にこう書いています。「ある日の午後、僕がぼんやりと車を磨いていると、アレックスとゲディーが小さなスタジオでの作業から戻ってきて、私道のすぐそこにポータブル・カセット・プレーヤーを置いて、彼らが思いついた音楽的アイディアを聴かせてくれたんだ」。
「Subdivisions」は、1981年末にイギリスとアメリカで行われ『Moving Pictures』ツアーの最終公演でいち早く披露されました。ブートレグ音源を聴くと、この時はまだ、ライフソンのギターが完成したスタジオ・レコーディング版よりも、ずっと目立っていました。
ラッシュは1981年の初夏に、アルバム『Signals』の制作のためにル・スタジオに戻りましたが、そこで、この曲のサウンドに変化が起こり、リーのシンセが前面に押し出されるようになりました。
プロデューサーのテリー・ブラウンは「ゲディーがシンセサイザーに夢中になっていたことも、この方向転換に大きく関係している。それに加えて、ギターの要素を削ぎ落としたものにしたいという願望もあった。彼らが当時影響を受けていた2つのバンドを挙げると、ポリスとウルトラヴォックスも聴いていた」と話しています。
「Subdivisions」のミキシングを行っていたときのことをライフソンは、こう振り返っています。
「“ギターの音が聞こえない”と思いながら座っていた。僕はとても気楽な男なんだけど、さすがに“これはおかしい”と思ったので、フェーダー(※音量を操作するツマミ)を上げたんだ。テリーは僕の方を向いて微笑み、手を伸ばしてフェーダーを下げたのを覚えているよ。そのミックスではギターの音がほとんど聞こえなかった。僕はただ“間違っている”と叫ぶだけだった」
「Subdivisions」でギターの音が消えていくことに対するライフソンの苛立ちは、完全に消えることはなかったものの、その後、収まっていったという。
「とても良い曲なんだけど、ミックスが気に入らなかったんだ。それ以来、何年もの間、自分のギターの権利のために戦ったんだと思う」
「(この曲の)ミュージックビデオは印象的だった。ニールの歌詞は人々の共感を呼び、特に僕らのように郊外で育った人たちの心を打ったんだ」
『Signals』はラッシュの作品の中でも意見の分かれるアルバムではありますが、しかし究極的には、『Signals』も「Subdivisions」も、それ以前のラッシュのアルバム『2112』や『Moving Pictures』と同じように、プログレッシブ・ロックの限界を押し広げる精神を体現しているという。
「今いる場所に留まって、同じことを何度も何度も繰り返すこともできるだろうけど、僕たちはそういうバンドじゃない。進歩は僕らにとって重要だ。僕たちは常にどこかに行く必要がある。僕たちは常に進化を望んでいた」