クイーン(Queen)の
ブライアン・メイ(Brian May)は、英ガーディアン紙の企画で、ファンからのさまざまな質問に答えています。
「最も影響を受けたギタリストは?」「クイーン以外で、どのバンドに一番入りたかった?」「共演できなかったことを一番後悔しているアーティストは?」「今でも6ペンス硬貨をギターピックとして使っているの?」「ジョン・ディーコンはなぜバンドを去ったのか?」「ライヴ・エイドでフレディが観客と行ったコール・アンド・レスポンスは事前に計画されていたの?」「クイーンの最高傑作は?」「現在のアーティストでお気に入りなのは?」「宇宙物理学者のキャリアを捨ててミュージシャンとしてやっていこうと決心した瞬間」「1993年のガンズ・アンド・ローゼズのツアーはどんな感じだった?」「共演者で最も優れていたのは誰?」「お気に入りのクイーン楽曲のカヴァーは?」
Q:若い頃、最も影響を受けたギタリストは誰ですか?
「シャドウズのハンク・マーヴィンは、僕ら子供たちみんなにインスピレーションを与えてくれた。彼は素晴らしくメロディアスで、流れるようなサウンドを持っていた。もっとロックンロールなところでは、エルヴィスやリッキー・ネルソンのために演奏したロック・ギター・プレイの元祖のひとり、ジェームズ・バートンだね。最近、彼と一緒に演奏する機会に恵まれた。彼は本当にインスピレーションを与えてくれる。サウンドだけでなく、彼が弦を曲げ、ギターに語らせることができるという事実が重要なんだ」
Q:もしクイーンが存在しなかったら、どのバンド(どの時代でも)に一番入りたかったですか?
「ビートルズかな。ビートルズになるのは簡単じゃなかっただろうけど、あの信じられないレベルの創造性は共感できるよ。(ドキュメンタリーの)『(ザ・ビートルズ: )Get Back』はたくさん観た。最初の作品(映画『Let It Be』)を観ていたとき、僕たちのことを思い出して少し悲しくなった。スタジオにいるクイーンは時々、“物事がうまくかみ合っていない”ということもあった。彼らはかなり苦しい状況にあると感じたけど、でも2作目(『Get Back』)では、彼らが本当にお互いを見つけ合っているように感じた。スタジオでのあり方の教科書だね。ビートルズじゃなかったら、レッド・ツェッペリンだったかもしれない。もし入れてもらえたらだけど」
Q:プロとして、他のアーティスト(必ずしも他のギタリストとは限らない)とレコーディングしなかったことに関して、一番後悔していることは何ですか?
「コラボレーションを断ることはめったにない。残念なのは、ジョン・レノンと仕事ができなかったこと。ビートルズはいつも同意していたわけではなく、常に引っ張ったり押したりしていた。クイーンと少し似ている。ジョンはとても強力な押し手であり、引き手でもあると思う。自分の本能を信じてついていくためには本当に一生懸命働かなければならない。僕たちが意気投合する姿は想像できたよ」
Q:今でも6ペンス硬貨をギターピックとして使っているのですか?
「ほとんどいつも6ペンスか指だね。以前はプラスチックの小さなピックで演奏していたんだけど、いつも曲がりすぎてしまうんだ。弦に触れて何が起こっているのか実感できなかったから、だんだん硬いピックに変えていったんだ。ある日、たまたま6ペンスのコインを拾って、“これさえあればいい”と思ったんだよ。6ペンスはとても柔らかい金属なので、ギターの弦を傷つけることはないんだけど、あのギザギザのエッジを弦に対して斜めにすると、アーティキュレーション(※音と音のつなぎ方や切り方でフレーズに表情を付けること)が効いた、パーカッシブな子音が出るんだ。僕はこれを“グランチ”と呼んでいる。1950年頃まではニッケルの含有量が多く、とても柔らかかったので、僕が生まれた1947年の6ペンスが特に気に入っているよ」
Q:フレディの死後、ジョン・ディーコンがバンドを脱退し、それ以上参加しなくなることを予感していましたか? また、なぜ彼が去ったと思いますか?
「僕が言えるのは、歴史的に、ジョンはストレスにかなり敏感だったということ。フレディを失ったことはみんな辛かったけど、ジョンは特に苦しかったと思う。1996年、僕たちは、フレディの記念像をモントルー (スイス) に建てたときに僕がフレディについて書いた曲“No One But You”のレコーディングと、パリでライヴを一緒に行った。(ライヴは)バレエ・シーズンのオープニングで、モーツァルトとクイーンを題材にしたモーリス・ベジャールの素晴らしい新作を上演するためだった。僕たちはジョンのベースと一緒に演奏し、エルトン・ジョンも一緒に歌った。その瞬間、ジョンは僕たちを見て、“もうこれ以上はできない”と言った。僕たちは、ジョンには少なくとも休息が必要だとわかっていたけれど、結局、彼は戻ってこなかった。ジョンのプライバシーを尊重しなければならないから、これ以上詳しくは言えないけれど、それでも彼はまだバンドの一部なんだ。ビジネス面で何か大きな決断をするときは、いつもジョンの意見を聞くことにしている。それはジョンが僕たちと話をするというわけではない。通常はしないけど、彼は何らかの形でコミュニケーションをとる。彼は今でもクイーンの一員なんだ」
Q:ライヴ・エイドでフレディが観客と行ったコール・アンド・レスポンスのヴォーカルは、事前に計画されたものだったのでしょうか、それとも自然に起こったものだったのでしょうか?
「計画していたわけではない。それをするかどうかは常にフレディ次第だったし、彼はただ、今がそのタイミングだと確信したんだ。フレディには確かに適性があった。彼は誰とでもつながれた。彼が“EY YO”と言ったとたん、その場は大爆発した。僕はロジャーを見つめながら、うまくいったようだと思ったのを覚えているよ」
Q:『Sheer Heart Attack』がクイーンの最高傑作だと思いますか?そうでない場合、どれがベストだと思いますか?
「世に出るという点では大きな前進だったけど、最高傑作かどうかはわからない。僕が一番好きなのは、不思議なことに、フレディが亡くなった後に完成させた最後の作品『Made in Heaven』かな。フレディがもうこの世にいないときに、フレディの声と一緒に作業していたから、この作品にはとても深みがあり、スピリチュアルな内容と感情が込められている。僕たちは悲しみに暮れていたので、実際にそれができるようになるまで数年かかった。ロジャーと僕は自分たちのツアーに出て、クイーンが存在しないふりをした。それから突然、この未完成の音源をすべて見て、このアルバムは作られることを切望しているのだと思った。愛情のこもった作品だった。今はとても安らかな気持ちで聴くことができる」
Q:現在のバンドの中で、あなたにとって常に欠かすことのできないバンドはいますか?
「恥ずかしながら、座って音楽を聴くことはほとんどない。僕は通常、音楽を作っているか、天体物理学や野生動物の保護活動など他の仕事をしているかで、それに3人の子供と7人の孫がいるからね、あまり時間がないんだ! 車の中にはCDが数枚あり、ずっと聴き続けているよ。Pinkはそのひとつ。彼女が大好きなんだ。彼女は素晴らしい。フー・ファイターズもよく聴くし、アヴリル・ラヴィーンも好きだよ。彼女の音楽はいつも新鮮。好きな高揚感がある」
Q:宇宙物理学者としての前途有望なキャリアを捨てて、ミュージシャンとしてやっていこうと決心した瞬間を覚えていますか?
「ある意味、その決断は自分で下したものだった。博士号を取得するために3年間取り組んだけど、お金がなくなったので、自活するために総合学校で教えた。その年の終わりに博士論文を提出しようとしたんだけど、指導教官はそれが十分だとは思わなかった。それで僕は“ああ、もうだめだ”と思った。クイーンのリハーサルは夕方から夜にかけて行われた。僕は教壇に立ち、論文を書いていたので、寝る暇もなかった。何とかしなければならなかった。僕は科学者としては明らかに力不足なので、諦めるべきだと思った。クイーンはちょうどその時、ドアが開くのが見えるところにいた。僕たちは、どうやってステージに立つか、どうやって演技を作るかというアイデアを考え始めていた。これをやり遂げようと思った。そのことを後悔したことはなかったけれど、30年後に一周して博士課程に戻ることができたのはとても幸運だった」
Q:1993年、あなたはガンズ・アンド・ローゼズの『ユーズ・ユア・イリュージョン』ワールド・ツアーにブライアン・メイ・バンドとして参加しました。どんな体験をしましたか?
「とても楽しかったし、とても危険だった。ガンズがステージに立つのか立たないのか、アクセル(ローズ)が突然その日は無理だと言い出すのか、何が起こるかわからなかった。でも、ひとたび彼らがステージに立つと、それはまるで地震のようだった。彼らは素晴らしく、素晴らしいライヴ・バンドだった。とても親切にしてくれた。アクセルはクイーンのファンで、僕たちの活動にとても影響を受けていた。フレディはもういなかったので、僕は歌いながらギターを弾いていた。クイーンがやっていたような巨大なライヴをやっていたのだから不思議な気分だった。トルコの巨大なスタジアムで“クイーンがここにいたら最高だろうな”と思ったのを覚えているよ。もちろん、そうなることはない。けど、その数年後、僕たちはまたその巨大で素晴らしい満員の会場で演奏していた」
Q:あなたはクイーン以外で何十人ものミュージシャンと仕事をしてきました。その中で、それぞれの楽器で最も優れていたのは誰ですか?
「エディ・ヴァン・ヘイレン。彼はすごいよ。ジミ・ヘンドリックスと同じように、彼はギターを新しい場所に連れて行き、ギターにさらなる次元を与え、何百万人もの人々が彼をフォローした。彼は一緒にいても素晴らしい男だった。とても無邪気で、楽しさと明るさに満ちていた。彼は決して努力しているようには見えず、彼にとって難しいことは何もなかった。彼は魔法の指を持っていた。スター・フリート以前に一緒に仕事をしたことはなく、ただ遊んでいただけだった。彼のそばにいて、そのような時間を過ごせたことは本当に光栄だった」
Q:長年にわたって、たくさんの人がクイーンの曲をカヴァーしてきました。お気に入りの曲はありますか?
「ガース・ブルックスがやった“Crazy Little Thing”。彼もまた、努力する必要がなく、ただ素晴らしい結果をもたらす人の一人。彼の心と魂が込められているんだよ」