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ジギー・スターダスト・ラスト・ライヴから50周年 ボウイの盟友マイク・ガーソンが当時を回想

2023/07/04 16:10掲載
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David Bowie at the Hammersmith Odeon on July 3, 1973 (Photo: Steve Wood/Express/Getty Images)
David Bowie at the Hammersmith Odeon on July 3, 1973 (Photo: Steve Wood/Express/Getty Images)
1973年7月3日、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)は“ジギー・スターダスト”として最後のコンサートを英ロンドンのハマースミス・オデオンで行いました。50周年を記念して、この公演で演奏したボウイの長年のピアニスト、マイク・ガーソン(Mike Garson)は、米Yahoo Musicのインタビューの中で、最後のジギー・スターダスト公演を回想しています。

ガーソンは、ブルックリンを拠点とするジャズ・ピアニストとして活躍していましたが、オーディションの電話を受けたことでザ・スパイダーズ・フロム・マーズに参加します。ガーソンはツアーに参加するようになると、セットリストの中で自分が演奏する必要のない曲があると、観客の中に潜り込み、ファンの視点からボウイを観察していたという。「最前列で彼を見ていた。ああ、こいつは天才だ。これは楽しい、楽しいぞ、と思ったよ」と振り返っています

アメリカでは当時、すでにボウイ・マニアが広がり始めており、ガーソンはクリーブランドで行われたスパイダーズのアメリカでの最初のコンサートで「これはジャズ・クラブとは全く違う」と気づいたという。

「(クリーヴランド・ミュージック・ホールでの)アンコールを終えると、スパイダーズとボウイは後方の入り口からリムジンに乗り込んだ。でも僕はまだ音楽の準備をしていたので、その場に取り残された。突然、3,000人の観客がステージに押し寄せてきて、僕はターゲットにされた。僕は、これまでに経験がないような勢いで走りだした。“やばい、ここから逃げなきゃ!”」

ガーソンはまた、ファンが移動中のリムジンの両脇にしがみついたり、ボウイのオレンジ色の髪を記念に切り落とそうとしたりするような暴徒シーンを思い出し、「ああ、僕は今ロックンロールの世界にいるんだ。ジャズの世界とはまったく違う。このゲームには新しいルールがあるんだ」と当時を振り返っています。

ボウイは、1972年から73年にかけてのツアー中、オフステージでも、そのキャラクターを演じ続けたことで有名ですが、ボウイと特別な絆で結ばれていたガーソンは、時折、本当のボウイの姿を垣間見たという。

「彼は僕の周りではジギーのペルソナを捨てていた。例えば、誰も知らないことだけど、彼は僕をプラザ・ホテルの自分の部屋に招待して、72年に彼らが使っていたビデオ機器を使って、フランク・シナトラやエルヴィス・プレスリーのビデオを観ていた。彼は僕を尊敬していたし、僕がその世界を知っていることを知っていたから、身振りをしては“これはどう見える? うまく捉えているように見える? これでいいのか?”と言っていた。僕は“ワオ、この人は本当にアメリカの音楽と、この国の偉大なスターについて知りたがっているんだ”と思った。彼は、僕がブルックリン出身だから知っているだろうと思ったんだよ。僕にそんなことを頼むなんて、とても恐縮することだけど、実際のところ、彼は知りたがっていた。そのとき、明らかに彼はジギーのペルソナにはなっていない。彼は僕のためにキャラクターを壊していた」

ガーソンはこの時代のボウイの精神状態を心配していたと振り返っています。

「アイデンティティーやキャラクターにとらわれると、何カ月も混乱してしまうからね。役者はいつもそうで、いつの間にか本質を失ってしまう。コスチュームを着るのと脱ぐのは別問題なんだ。デヴィッドは意識レベルが高かったから、それが心配だった。僕が知っている多くのロックの男たちとデヴィッドを分けたのは、彼が本当に“ロックンロール野郎”ではなかったということ。彼は知性にあふれ、芸術家であり、画家であり、俳優でもあった。彼はその役を演じ、このキャラクターの陰に隠れることができた。ナーバスになっていた彼にとっては、とても助けになった。それは彼にとって完璧な解決策であり、彼はそれで認められ、俳優が役に徹するように、彼はその役に徹し続けた。でも、彼はちょっと長く居すぎた。確かに、このショーとペルソナは、それから半年から1年長く続けられたかもしれないけど、彼は73年にハマースミスでそれを打ち切った。まだウォーミングアップだと思っていたファンは物足りなかったようだけど、でも、彼はこれ以上続ければ自分がダメになるとわかっていた。だから、彼はそれをやめたんだ」

そして、1973年7月3日、ロンドンのハマースミスでジギー・スターダストとして最後のコンサートを行います。

「ギロチンが下りてくることを知っていたのは彼だけだった。僕は何かが倒れることを知っていた。彼からこれを終わらせると聞いていたからね。でも、彼と一緒に続けていくこともわかっていた」

そのためか、ボウイはガーソンに、今では伝説となったハマースミス公演のオープニングを任せます。

「デヴィッドは、彼がステージに登場する前に、『ジギー』から3、4曲のメドレーを演奏するよう僕に頼んだ。僕は実験台だったんだ(笑)。バーブラ・ストライサンドが客席にいることは知っていたし、僕はバーブラ・ストライサンドのファンだったから“Life on Mars”を演奏したとき、彼女ならわかるだろう、もしかしたら“ああ、これは私にも歌える曲だ!”と言ってくれるかもしれないと思って演奏したんだ。そして彼女は何年も後にこの曲をレコーディングすることになった。デヴィッドの音楽を他の分野にも広めてほしかったからね。“Ziggy”や“John, I'm Only Dancing”は、ブロードウェイのショーの序曲のように演奏した。デヴィッドは僕に緊張していると言っていた。僕自身もとても緊張していた」

ガーソンはスパイダーズの解散について、こう話しています。

「嬉しかった部分もあった。退屈だったからね。違う音楽をやる必要があった。『Diamond Dogs』『Young Americans』『Pin Ups』では違う演奏ができたので、羽を伸ばすことができた。デヴィッドと同じで、すぐに飽きてしまったんだ」

ガーソンはボウイがバンドを解散させたのは個人的なことではないと主張しています。

「個人的なことに見えたけど、そうじゃなかった。どうしようもなかったんだ。彼は前に進み続けなければならなかった。後に僕が参加しなかった彼のアルバムがあるけど、それは彼が僕のことを好きではなくなったからではなく、ただ彼の耳の中では、僕がそのアルバムで演奏しているのが聴こえなかっただけなんだ。彼は常にビジョンを持っていたので、彼の誠実さを尊重しなければならない。彼は意地悪でそうしたのではない。彼はただ前に進まなければならなかった。彼はいつもそうだった。彼はせっかちで、次のものを生み出そうとせずにはいられなかった。...数年ごとにスタイルを変えなければならないという点で、彼はロック界のマイルス・デイヴィスだった」

最後のコンサートの模様を収めたライヴ作品『Ziggy Stardust and the Spiders from Mars: The Motion Picture(邦題:ジギー・スターダスト)』は、映像と音源が完全レストア/リマスター化されました。この新装版には、特別ゲストであるジェフ・ベックとの「Round and Round」の未公開パフォーマンスも含まれています。これまで未公開だった理由についてガーソンはこう話しています。

「ジェフ・ベックがステージにやってきて、僕らと一緒に演奏したのは素晴らしかったんだけど、ジェフは彼の靴が気に入らないとかで、その映像を決して外に出さなかったんだ(笑)」

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