David Bowie and Carlos Alomar - GETTY IMAGES
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)の長年のコラボレーター、ギタリストの
カルロス・アロマー(Carlos Alomar)は、ボウイを祝うファンイベントを前に、米フォーブス誌のインタビューに応じてボウイとの思い出について語っています。
プエルトリコ生まれでニューヨーク育ちのアロマーは30年にわたり、ボウイの数多くのアルバム(『Young Americans』『Station to Station』『Low』『“Heroes”』『Lodger』『Scary Monsters』『Outside』『Reality』など)とツアーに参加しました。
彼は、6月17日~18日にニューヨークで開催されるファンイベント「デヴィッド・ボウイ・ワールド・ファンコンベンション」に出演し、ボウイについて語る予定です。
ボウイについて、特に印象的な思い出を尋ねられたアロマーは、約45年前に起きた、2人が一緒に仕事をした人物にまつわる個人的な出来事を話し始めます。
「デヴィッドは僕の隣に住んでいた。僕たちは楽しい時間を過ごしていた。家族も一緒だった。小さなゾウイ(現在はダンカン・ジョーンズ)は、僕の娘のリー・ロリアンと遊んでいた。この建物には子供たちは彼らしかいなかった。僕たちは楽しい人生を送っていて、美しい場所に住んでいて、すべてが幸せな世界だった。その後、(ジョン)レノンが撃たれ、デヴィッドは悲嘆に暮れた。彼は僕の家にやってきて、その瞬間を共有した。最高の時間の思い出は、乗り越えなければならない最悪の時間の記憶と共に共有しなければならなかった。最高と最低を一緒に共有することで、二人の関係は成り立っていたんだ」
アロマーとボウイの関係は、1974年頃、イギリスの歌手ルルのレコーディング・セッションに2人が参加したのが始まりでした。2人は意気投合し、ボウイはアロマーに自分と共に働かないかと誘います。
アロマーはボウイのアルバム『Young Americans』(1975年)に初めて参加し、ボウイがアメリカのソウル・ミュージックにどっぷりと浸かっていることを知ります。
アロマーによると、ボウイはフィラデルフィアを拠点とする音楽集団MFSB(“TSOP”で知られる)のメンバーに自分のアルバムに参加してもらいたかったそうですが、実現しませんでした。
アロマーは「ボウイが“悲しいな、断られるなんて。どうしたらいいんだろう”と言ったのを覚えている。僕は“俺は(ニューヨーク ハーレムのヴォーカル・ トリオ)メイン・イングレディエント(の仕事)から来たばかりだ。誰か欲しいんだ?俺が繋いでやるよ”と彼に言った。そして妻のロビン(クラーク)とルーサー・ヴァンドロスをバック・ヴォーカルに迎えたんだ」と話しています。
アロマーが『Young Americans』に参加したもう一つの副産物は、アロマー、ボウイ、ジョン・レノンが共同で作曲したファンキーな曲「Fame」で、ボウイにとって初の全米NO.1ソングとなりました。この「Fame」は、ボウイが以前ステージで演奏したThe Flaresの1961年の曲「Foot Stompin'」のギター・リフをアロマーが弾いたことに端を発しています。
アロマーは「Fame」についてこう話しています。
「(スタジオで)曲を録音するとき、時にはそれが退屈で、自分が思っていたような輝きがないこともある。あるいは、ライヴで演奏したときと同じように聴こえないこともある。そこでデヴィッドは、この曲を少しずつ切り分けていった。彼はこの曲をよりブルース志向の曲にしていった。その後、ベースとドラムが揃ったところで、ジョン・レノンが入ってきた。“ちょっとアコースティック・ギターを置いてみてよ”という気遣いみたいなものがあって、それがこの素晴らしい曲へと発展していった。
彼ら(ボウイとレノン)に食事に誘われた。すでに自分のパートを聴いていたんだけど、ミュージシャンというのは、インスピレーションを受けて何かを聴くと、飲みに行くわけにはいかなくなるんだ。(食事に誘われたのは)絆を深めることだけが目的だった。だから僕は“(僕のパートを)聴いたけど...ここにいないと”と思っていた。それで、彼らは僕を放っておいた。彼らが戻ってきたとき、デヴィッドはそれを聴いて“おお、これは素晴らしい”と言っていた。彼はミステリアスで、ちょっと不気味だと思っていた。あの曲が出てきて“一体誰なんだ”という感じだった。そしてデヴィッドがその1行を書き下ろした(音符を歌う)--そして、見事に成功した。僕たちは永遠に絆を結んだんだ」
アロマーは『ベルリン三部作』(『Low』『“Heroes”』『Lodger』)でボウイと仕事を続け、彼とベースのジョージ・マーレイ、ドラムのデニス・デイヴィスは、DAMトリオと呼ばれる緊張感と耐久性のあるリズムセクションを構成しました。アロマーはこの時代のことをこう話しています。
「デヴィッドは、当時クラフトワークに夢中になっていたので、クラフトワーク・タイプを望んでいた。デニス・デイヴィスの機械的な正確さ、ベースを弾くリードギター奏者のジョージ・マーレイ、1小節に1000個のコードを入れるカルロス・アロマー。僕たちは、彼が何を投げかけても、4つのヴァージョンを返すほど柔軟だった。彼がどこに行きたいかということを、このトリオですぐに形にすることができた。
僕たちにはスプリットで変化する能力があったので、ロックンロールにしたいとか、ソウルフルに戻りたいとか、エレクトロニックにしたいとか、そんなことは何の問題もなかった。すべてが長い冒険の旅だったので、僕たちにとっては問題はなかった。もし、あの環境に身を置くなら、何も期待しないことだね。自分自身をオープンにしておくんだ」