Robert Plant and Jason Bonham
レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のドラマー、
ジョン・ボーナム(John Bonham)の息子である
ジェイソン・ボーナム(Jason Bonham)は、父親の遺品の中から無印のオープンリール・テープを発見。ジェイソンによると、ジョンはレッド・ツェッペリンのスタジオ・ミックスのテープを家に持ち帰っていたので、このテープもその可能性があるそうですが、ジェイソンはまだ再生していないという。マシン・トラブルで消去されてしまうかもしれないからと話しています。
ポッドキャスト『The Vinyl Guide』に出演したジェイソンはこう話しています。
「信じられないかもしれないけど、パパは家で演奏するのが全然好きじゃなかったんだ。録音機材を持っていなかった。パパの古いRevoxの2トラックがあるんだけど、それはパパがスタジオから戻ってきたときにミックスを再生するためだけのものだった。
この前、家でテープの箱、オープンリールを見つけた。マシンを起動させて接続する必要があるんだけど、それは......“これを起動して再生してみよう。まだ発売されていないものがあるかどうか調べてみよう”みたいなYouTube用のエピソードに取っておくよ。すべて無印なんだよ。あるいは劣化してしまっただけかも。
マシンに入れたら、スタートを押した瞬間に消去されてしまうかもしれない。ネブワース(フェスティバル)のミキシングをしたとき、彼らはそうしなければならなかったと思う。(あの時は)U-マチックテープしかなかったから、テープの中身のデータを焼いて保存しなければならなかったはずだよ」
また同じインタビューの中で、ジェイソンが父親の代わりにドラムを演奏した、2007年のレッド・ツェッペリン再結成公演がどのように計画されたかについても話しています。
「ロバート(プラント)と親しかったヨーロッパのアトランティックの責任者の一人だった当時のマネージャーから電話があった。彼は“ロバートが電話してきて、あなたと一緒に食事に行きたいと言っています、あなたに聞きたいことがあるそうです”と言っていた。
その瞬間まで、ロバートと僕には小さなぶつかり合いがあった。ペイジ&プラントのリユニオンが行われた時、僕はおそらく最悪の飲酒状態だった。僕がどこに行っても、どこでプレイしても、すべての人が僕に“あなたは彼らと一緒に演奏できるほど優秀ではないのでは?”“なぜ彼らはあなたに声をかけないの?”と尋ねてきたので、多くの酒が必要だった。
(ロバートと)ディナーに出かけた後、本当に、本当に、本当に、本当に良い話をした......とても特別な話だった。基本的には遠慮のない本気な会話だった。彼は残酷なほど正直で、僕も残酷なほど正直だった。
その後、気がつくと3月にメールが来て、“6月10日に集まって、少し演奏してみて、どう思うか決めよう”と書いてあった。僕は送る相手を間違えたと思ったよ。“曲のリストがあるから、この中から5曲選んでくれ”と言われた。それでみんなが何かを選んで、僕も参加したんだ。
僕は(そのとき)演奏したり、ツアーに参加したりしていた。だから数回のライヴのために他のドラマーに代役を頼まなければならなかった。僕はフォーリナーで、デフ・レパードのオープニングアクトを務めていたので、飛行機でイギリスに戻って朝に到着して、部屋に着いてドラムをセットして、1時間半くらいドラムセットの後ろの床で目をつぶっていたら、彼らが来た。
みんなに会えて嬉しかったよ。“何を演奏したい?”と言ったら、ジミー(ペイジ)が“簡単なものから始めよう、Houses Of The Holyはどうだ?”と言ったので、僕は“そんなのリストになかったよ!”と言うと、彼は“うるさい!”と言った。それが最初の演奏だった。リストにはなかったけど、“これでいいか”という感じだった。リストを信用するなということを知るべきだったよ。
それから、もう何曲かやって、“Kashmir”をやった。その終わりにジミーが振り返って“今までで一番いい音だ、ジェイソン ”と言った。ロバートは“驚異的だ、OKみんな。ジミー、1週間後に話そう。ジェイソン、ここにいてくれ、ジミーが話したいことがあるそうだ。僕はもう行くよ”と言って、僕は彼をハグした。それからジョン・ポール・ジョーンズが“よし、また後で会おう、バイバイ、一緒にプレイできてよかったよ”と言った。そしてジミーは“さて、どうする......このコンサートをやりたいんだ、レッド・ツェッペリンでドラムを叩かないか”と言った。
“オーマイゴッド”だった。それだけではなかった。実は他のことも考えていたんだ...リハーサルは6週間もあったんだよ。
ある晩、3人で出かけた。インド料理のレストランに行った。僕たちはインド料理が大好きで、ロバートは“ああ、この店知ってるよ”と言っていた。そこは本当に本格的なインド料理店で、他の家族とテーブルをシェアすることになった。僕はずっと“なんてこった、......あの人たちは僕らがレッド・ツェッペリンの再結成について話しているなんて知らずに、パーパドを取ってくれないかなんて言っている”。僕はただ、“なんてこった、このテーブルで僕らが何を計画しているのか、誰も理解してないんだ”と思い続けていた。
僕はいつも、もし最初の夜にあのような演奏をしたら、4日目の夜はどうなっていたか、ツアーの半分くらいはどうなっていたか想像してみてよと、みんなに言っている。
“You Shook Me”はリハーサルしていたんだけど、最後の最後で落としたんだと思う。僕は“アコースティックでやるのはどうだろう、そうすればあなたたちだけだから。フロントの3人だけで演奏しみては?”と言ったのを覚えている。すると彼らは“なぜそんなことをしたいんだ”と言っていた。
彼らから“何を聴きたい?”と言われた。僕は“Going To California”が聴きたいって言った。それで、リハーサル室で誰もいないところで、ちょうど帰るところだったんだけど、彼らはアコースティック楽器を持って、ソファに座って、僕のために“Going To California”を歌ってくれた。部屋には彼らだけで、それから“Tangerine”は自分たちだけで歌ったんだよ」