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トニー・ヴィスコンティ デヴィッド・ボウイ『Low』を再び振り返る、ボウイからの誘いの電話で言われたこと/完成後にボウイが階段を踏み外したこと等

2023/01/16 18:12掲載
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David Bowie / Low
David Bowie / Low
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)が1977年1月14日にリリースしたアルバム『Low』。このアルバムをボウイと共にプロデュースしたトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)は、アニヴァーサリーを祝して、このアルバムについて再び語っています。なお、ヴィスコンティは2022年1月にもこのアルバムに振り返っています。(詳しくはこちら。内容は一部は重なりますが、異なります)

「『Low』。デヴィッド・ボウイのアルバム『Low』のアニヴァーサリー・タイムだ。 以前にもコメントしたことがあるが、いくつかの要素は繰り返す価値がある。

僕にとってそれは、当時デヴィッドが住んでいたスイスからかかってきた電話から始まった。彼は、ブライアン・イーノと一緒に、根本的に新しいアルバムのアイデアのために、あるコンセプトに取り組んでいると言っていた(そして、そろそろ誰かがそれをやってもいい頃だった)。彼は、ミニマルなアプローチと、彼にとっては初めてのインストゥルメンタル曲の計画について簡単に説明してくれたが、それはブライアンの素晴らしい音の風景の構成に大きく依存していた。 彼は、フランスのパリ郊外にある“ホンキー・シャトー”で一緒にやろうと言い、実験的なものなので人生の1ヶ月を無駄にすることになるかもしれないと忠告した。僕は“君とイーノと一緒に1ヵ月過ごすのは、それだけの価値があるよ!”と答えた。

最初の2週間は隔離された。髭も剃らず、靴も履かず、1日3回はダイニングルームで、1日の大半をスタジオで過ごし、夜は“お化け屋敷”のようなベッドルームで過ごすことになった(それはまた別の話)。

驚くべきことに、カルロス・アロマー、デニス・デイヴィス、ジョージ・ムーレイと一緒に、2週間ですべてのトラッキングを完了させた。2週目には、ブライアンとデヴィッドがアンビエント・ミュージック・トラックのベッドを作った。僕の新しい『Eventide Harmonizer 910』は、スネアドラムの音だけでなく、インストゥルメンタル楽曲の音質にも大きく関わっている。デヴィッドと僕は、オーバーダビングとミキシングにさらに2週間を費やした。最終ミックスの日、デヴィッドは全てのミックスを収録したカセットを求めてきた。彼はかなり飲んでいた。ミキシングの最終段階まで、僕たちはアルバムができたかどうか確信が持てなかったが、僕がカセットを渡すと、彼はそれを振って“アルバムができた”と叫んだ。デヴィッドは大喜びでコントロールルームを出て行ったが、その直後にゴォーッという大きな音がしたので、すぐに階段に駆け寄った。デヴィッドは転んでしまい、下のほうで痛みに耐えながらカセットを頭上に掲げて横たわっていた。翌朝には元気になっていた。

批評家からは散々な言われようだったけど、僕たちはこのアルバムをそのサウンドと同じくらい過激なものにするという決断から決して揺らぐことはなかxった。『Ziggy Stardust II』ではないけれど、このアルバムがミュージシャンたちに与えた影響は大きく、より開放的で、新しいジャンルや芸術としてのポップミュージックを誕生させたんだ」