デヴィッド・ボウイ(David Bowie)が率いた
ティン・マシーン(Tin Machine)のメンバーとしても活躍したベーシストの
トニー・フォックス・セイルズ(Tony Fox Sales)。David Bowie Newsのインタビューに応じて、ボウイとティン・マシーンについて語っています。ティン・マシーンにはまだ聴かれていない曲がアルバム1枚分あること、ティン・マシーンのボックスセットについて、たティン・マシーンでも訪れた日本についての印象なども話しています。
Q:初めてボウイに会ったときはどんな感じでしたか?その時点で彼の音楽のファンでしたか?
「はい、もちろん。僕はデヴィッドの大ファンだった。幸運にもデヴィッドのために仕事をすることができたし、彼と親しくなることができた、40年来の友人だったんだ。彼は素晴らしい人だった。とても才能があり、とても知的で、一緒に働くすべての人を本当に助けてくれた。
デヴィッドに会ったのは、トッド・ラングレンの下で働いていた時だった。ニューヨークのMax's Kansas Cityというクラブにいた。僕がブースの後ろに座っていると、ボウイが入ってきて、僕が座っていた大きなテーブルに彼が座った。僕は彼に会えて感激した。僕は、彼のソングライティングとパフォーマンスの大ファンだった。ジギー・スターダストとスパイダース・フロム・マースを観て、本当に衝撃を受けたんだよ」
Q:ティン・マシーンのファースト・アルバムのレコーディングについて、どのような思い出がありますか?
「ジャムをベースにしたものもあった。
何があったかというと、何年かぶりにデヴィッドに会ったんだ。グラス・スパイダー・ツアーの打ち上げパーティーで彼に偶然会った。
ある人から“今日、パーティに来るから、デヴィッドに会いに来てよ”と言われた。“いや、行きたくない”と思ったし、家に帰る途中だったんだけど、戻って彼に挨拶してこようと思ったんだよ。会場につくと、夜遅かったけど、大きな音がしていた。中に入ると、200人くらいの人が踊っていて、大騒ぎしていた。すぐにはデヴィッドに会えなかった。ふと見ると、彼が一人で床に座っていた。僕はそこに行って“君はいつもこんな風にたむろしているのか”と言ったら、彼は笑って“トニー!ちょうど君のことを考えていたんだ。一緒に仕事をしているギタリストに会って欲しいんだよ。名前はリーヴス(ガブレルス)。君とハント(セイルズ)と一緒にスイスに行って欲しいんだ。やってみないか?”と言った。
僕は“やろう”と言った。彼は“ドラマー(ハント)を呼ぼう”と言った。僕たち3人はロサンゼルスに集まり、ノース・ハリウッドのリハーサル・スタジオで数日間、アイデアを出し合った。それからスイスに行った。モントローのスタジオだよ。フランク・ザッパが焼き払ったのと同じスタジオ。(ディープ・パープルの)“Smoke on the Water”のことだよ。メインルームからカジノの機材やマシンを全部持ち出した。飛行機の格納庫のような巨大な部屋だった。ドラムを真ん中に置いて、あの部屋のおかげであのビッグなサウンドを手に入れることができたんだ。ティン・マシーンのファースト・アルバムは...とんでもない音だった。
面白いことに、コントロール・ルームがメイン・ルームから見えないところにあったので、階下にカメラを設置しなければならなかった。だから、ビデオでコミュニケーションしていたんだ。それがこのアルバムの経験だよ。モントローは美しい街で、スタジオはジュネーブ湖のすぐそばにあった。本当に湖のすぐそば。1日に6、7時間はレコーディングしたんじゃないかな...アルバムは3週間くらいで完成させたと思う。36曲書いて録音したんだ」
Q:本当に多作なセッションでした。アルバムに収録されなかった曲について覚えていますか?
「覚えているよ。まだ聴かれていないアルバムがある。それが聴かれるかどうかはわからない。デヴィッドのエステートの意向次第だよ。いい曲はあるんだけどね」
Q:では、実際にティン・マシーンのサード・アルバムを制作するために十分な素材を録音したのですね?
「そうだね。曲によってはタイトルすらないものもあるけど、ヴォーカルも歌詞も何もかも含めて録音してある。ただ、何曲かはタイトルがないんだ」
Q:そのうちの1曲が「You've Been Around」ですね。あの曲はアルバムに収録される予定だったんですね。
「そうだね。あれは、僕らがやった曲のひとつなんだ。まだリリースされていないんだけど、どこかにある。最高の声のデヴィッドだ。当時、彼は40代前半で、思いっきり歌っていて、最高だった」
Q:「Waiting For The Man」のカヴァーもありますね。
「そうだね。ビデオに収録されたかもしれないものを、ライヴでたくさんやった。マディ・ウォーターズもやったよ」
Q:「All Tomorrow's Parties」もやりましたよね?
「それはやったし、録音もしたんだけど、リハーサルで録音したのか、サウンドチェックで録音したのか忘れたけど、ライヴではやってないんだ」
Q:「Now」というタイトルの曲は覚えていますか?ボウイが後にアルバム『1.Outside』に使用したものです。この曲はスタジオ・ヴァージョンでカットしたのですか?
「僕の記憶では、オーストラリアのEMIスタジオでレコーディングしている時に書き始めたものだね。“Now, Tomorrow, Yesterday”というタイトルだった」
Q:『Tin Machine II』のレコーディングで思い出すことはありますか?ファースト・アルバムと比べて何が違っていましたか?
「同じようなアプローチだった。みんなで一緒に作曲したんだ。ティン・マシーンのワイルドなところは、僕らが予算のあるガレージ・バンドだったということ。どこでも好きな場所で録音できた。ファースト・アルバムはオーストラリア、ニューヨーク、ロサンゼルスで録音した。セカンド・アルバムはバハマとロサンゼルスでレコーディングした。ミキシングはナッシュビルでやったかもしれない。バハマにいたのはいい経験だった、すごくリラックスできたからね。コンパスポイントというスタジオで録音したんだ。そこは海の真向かいにあった。休憩時間になると、僕は海に飛び込み、シュノーケリングをしていた。飛び降りたら、すぐそばでエイが3匹泳いでいた。とにかくワイルドだった。下を見ると、ロブスターがたくさんいた。“どうやってここに来たんだろう”と思ってスタジオに戻るのは楽しかったね」
Q:『Tin Machine II』には最初のアルバムほど未発表音源があるのでしょうか?
「ないと思う。曲はほとんどカットしたんだ。曲は2、3回やって終わりで、多くのでファースト・テイクを選んだ。そこに魔法があるんだ。物事を考え過ぎると、完全に魔法は消えてしまう。自分の人生も含めて、すべてを考えすぎてしまうと、もうあまり楽しくなくなってしまう。最初のアルバムでは、デヴィッドがヴォーカルを録って“ちょっとやり直したいんだけど...”と言っていたけど、僕らは“いや、それでいいんだ。ヴォーカル・テイクは14回必要ない”と言った。だから、彼は1曲を2回、多くて3回歌ったかもしれないけど、彼はたいてい1回目のテイクで歌った。間違いがあっても、最初のテイクのままにしておこうということになった。多くの曲でミスもあったけど、僕らはそれはそれで好きだったんだ」
Q:ダブリンでのリハーサルについては、どのような思い出がありますか?
「リハーサル中にトム・クルーズとニコール・キッドマンが来てくれた。トム・クルーズが“スカイダイビングをしないか?いいじゃないか、きっと楽しいよ”と言ったけど、僕は君と一緒に飛行機から飛び降りるつもりはない、幸運を祈ると言ったんだ」
Q:その逸話はブライアン・アリス著の『Bowie Memories』に書かれていますが、写真はどこにもないようです。写真を撮ったかどうか覚えていますか?
「いや、誰も撮ってない。僕らがリハーサルをしていたら、彼らが現れたんだ。彼らはアイルランドで映画の撮影をしていて、その日は休みで、ボウイに会いたくてやってきたんだ。いい人たちだったけど、僕は飛行機から飛び降りるつもりはなかった」
Q:ティン・マシーンで日本に訪れたとき、どう思いましたか?日本での評判は、他の国とは違うと感じましたか?
「日本には何度か行ったことがある。日本を訪れるのは大好きだよ。(2023年2月に予定されている来日公演はイギー・ポップの『Lust For Life』をフルで演奏する予定)Lust For Lifeのツアーも楽しみだよ。
日本の良さは、やっていることにきちんと耳を傾けてくれるところ。彼らは、自分が気に入ったものを本当に大切にしている。彼らは演奏してくれるアーティストにとても感謝している。彼らはショーの一部ではなく、アメリカのようにクレイジーで騒がしく、走り回り、物を投げて暴れたりしない。演奏中に劇場を焼き払おうとはしない。でも、演奏が終わった後、彼らの熱狂は最高潮に達する。アーティストを尊重し、アーティストがやっていることに敬意を表しているのが、本当に好きなんだ。
ティン・マシーンでやっていたようなことは、とても即興的なものだった。同じライヴは2回とない。彼らはそれを本当によく聴いていて、尊重してくれた。僕たちは本当に感謝しているよ。
日本は美しい国。僕たちは冬の日本に行って、ほぼ日本全国を行ったり来たりした。札幌で演奏したときには、氷の祭典にも行った。氷でできた実物大の灯台もあった...リンカーン記念館もあったよ(笑)。見るべきものがたくさんあって、楽しかったよ」
Q:ツアーが終わる頃には、クリエイティヴな面で前進する準備ができていましたか?それともティン・マシーンのアルバムをまた作りたいと思っていましたか?
「ティン・マシーンのアルバムをもう一枚作って、またツアーをする予定だったんだけど、人生が邪魔をしたんだ」
Q:ライヴ・アルバム『Tin Machine Live:Oy, Vey』についてどう思われますか?
「アイルランドに行ったとき、(U2)のジ・エッジとボノに偶然会って、ジ・エッジの家でパーティをした。彼らは“俺たちの新しいアルバムは『Achtung Baby』って言うんだよ”と言った。デヴィッドと僕は顔を見合わせて、彼は“Oy, Vey Baby!”って言ったんだ」
Q:続編の計画があったかどうか、覚えていますか?あのアルバムは非常に短いのが特徴です。2枚目のライヴ・アルバムをリリースする計画があったというのは本当でしょうか?
「そんな話はなかったと記憶しているよ。8曲だけど、長い曲ばかりだよ」
Q:ティン・マシーンのボックスセットについて教えてください。数年前に発売される予定でしたが、それ以来ずっと保留になっています。
「デヴィッドのエステートによって延期されたんだ。なぜ延期になったのかは知らない。僕はそのことに全く関与していない。もちろん、発売してほしいし、みんなに聴いてもらいたい、素晴らしいものだよ。でも、今のところ、それは実現していない」
Q:2003年か2004年のリアリティ・ツアーのコンサートのバックステージで、あなたとデヴィッドが写っている写真があります。その時のライヴの様子と、10年以上ぶりにボウイと再会した時の様子を教えてください。
「あれはロサンゼルスのグリーク・シアターの楽屋だった。彼は僕がそこにいることを知らず、ただ現れた。彼は拳を突き上げて“ティン・マシーン!”と言った。バックステージにはたくさんの人がいた。デヴィッドが入ってきて、ちょっと話をした。僕はただ挨拶をして、どんな友人とでもするように、ライヴを楽しんだことを伝えたかったんだ。それから僕は陽気に歩き回った」
Q:2016年にボウイが亡くなったと聞いたとき、どのような反応をしましたか?
「打ちのめされたよ。彼は40年来の友人で、大好きな人だった。誰にとっても、本当に損失でした。個人的には、大切な友人を失ったようなものだった。イマンと彼の子どもがとてもかわいそうだった。僕たちは、皆と同じように、進み続けなければならない。彼がいなくなるのはとても寂しいよ」