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ブロンディのアルバムをフィル・スペクターがプロデュースする計画が実現しなかった理由

2022/12/12 19:54掲載
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Blondie
Blondie
ブロンディ(Blondie)のアルバムをフィル・スペクター(Phil Spector)がプロデュースする話があったそうですが、1977年、彼の屋敷に訪れた際、スペクターは「片手に45口径、片手にワインを持ちながら応対」したそうで、異様な世界を経験したブロンディのメンバーは彼を警戒。スペクターと仕事をしなくてすんだのは「本当に幸運だった」とMojoの新しいインタビューの中で語っています。

1977年、ブロンディがサンセットストリップのウィスキー・ア・ゴー・ゴーで公演を行った際、スペクターがブロンディの楽屋を訪れました。彼の両脇には2人のボディーガードが立っていて、スペクターは長髪で髭を生やし、黒い服を着てマントを身につけ、首から十字架をぶら下げていました。

「彼は僕たちを楽屋に閉じ込めて、長々と説教をしたんだ」と、当時ブロンディのベーシストだったゲイリー・バレンタインは回想しています。

ドラムのクレム・バークは「彼が頭がおかしくなっていることは、すでに常識になっていたと思う」と言っています。

ギタリストのクリス・シュタイン(クリス・スタイン/Chris Stein)は、スペクターがパートナーのデボラ・ハリー(Deborah Harry / Debbie Harry)を自分のリムジンに誘い込もうとした後、バンドは警戒しながらもこの狂ったプロデューサーの誘いに乗って、ビバリーヒルズにある彼の邸宅までついて行ったと回想しています。

「彼は片手に45口径、もう片方の手にマニシュウィッツ・ワインのボトルを持って、自宅のドアに向かった。彼はずっと(米国のコメディアンで映画俳優の)W・C・フィールズのような声で話していた」とスタインは回想しています。

家の中でスペクターは、彼が制作中のアルバムであるレナード・コーエンの『Death Of A Ladies' Man』のラフミックスを流した後、ハリーをなだめてピアノの前に座らせ、「Be My Baby」やロネッツのヒット曲を歌わせたという。スペクターはまた、ハリーの太ももまであるレザーブーツに銃を向け、“バン、バン!”と叫んだという。「ちょっと怖かった」とハリーは言っています。

その夜、スペクターがブロンディの次のアルバムをプロデュースするかもしれないという話が持ち上がりましたが、しかし、このような異様な光景は、当然ながら警鐘を鳴らすことになりました。

「フィルを避けられたのは本当に幸運だった」とシュタインはしみじみと締めくくっています。