Joe Lynn Turner - Photo credit: Agata Nigrovskaya
レインボー(Rainbow)や
ディープ・パープル(Deep Purple)などでの活躍でも知られる
ジョー・リン・ターナー(Joe Lynn Turner)。Metal Edge Magazineのインタビューの中で、「ウィッグを着けていることで、一緒に仕事をしたアーティストやバンドとの間で問題になったことはありますか?」「イングヴェイ・マルムスティーンのアルバム『Odyssey』に参加することになった経緯は?」「これまでで一番好きなシンガーは誰ですか?」の質問に答えています
Q:ウィッグを着けていることで、一緒に仕事をしたアーティストやバンドとの間で問題になったことはありますか?
「公然の秘密だった。ウィッグで隠そうとしたわけではなかったし、彼らは似合っていればウィッグであろうとなかろうと気にしていなかった。僕は似合っていると思ったので、だからそうしたんだよ。でも、そろそろいいんじゃないかと思ったんだ。ワインと同じで、どんなワインも時期が来なければ、おいしくない。僕はもう歳をとっているので、その辺は対応できるけど、それでもこういうことは勇気がないとできないことなんだよ。それは、真実を知る時であり、人々が自分自身を受け入れる時であり、どんな挑戦でも人々をやる気にさせ、鼓舞する時なんだ。
グラハム・ボネットは絶対的なヒーローだ。彼は的確で、正直に言い、ビジネス面や彼らの虚勢をすべて叱った。彼は(リッチ)ブラックモアとの間でも、髪が短すぎるなど、そのすべての対象になっていた。俺たちは皆、均一でなければならなかったからね。そして今日も同じさ、チェーン、ギア、ドレスアップ、そしてヘアスタイルもね」
Q:
イングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen)のアルバム『Odyssey』に参加することになった経緯は?
「ポリグラムのジム・ルイスから電話があって“レインボーでやったことをイングウェイでやってほしい”と言われたんだ。それは、イングウェイを商業的なものにしつつも、ハードなエッジを残すということだった。ジムは僕にソングライティングの才能があることを知っていたからね。それでカリフォルニアに行ってイングヴェイに会ったんだけど、彼はめちゃくちゃな人だった。ライオン使いのように鞭と椅子が必要で、彼が僕を歓迎してくれるような方法を見つけることが必要だと考えた。僕らは3日間、激しいパーティーをして、たくさん話したから、僕がふさわしい人間だと確信したんだと思う。
その後すぐに、服を取りに行ったり、荷物をまとめたりするためにニューヨークに戻ったんだけど、帰ってきたらイングウェイが交通事故で入院していた(※ジャガー・Eタイプを運転中、木に激突するという大事故を起こす。8日間にわたる意識不明の重体だった)。
僕はバンドの年長者だったので、辞めずに、ヨハンソン兄弟(キーボードのイェンス・ヨハンソンとドラムのアンダース・ヨハンソン)と一緒にロスに残った。
一時期、ボブ・デイズリーやエリック・シンガーをバンドに入れる予定だったんだけど、イングウェイはそれに反発して、素晴らしいプレイヤーであるスウェーデン人のメンバーをバンドに入れたいと思っていた。そうは言っても、いろいろなことが起こっていた。
入院中の彼の世話は僕がしていた。ポリグラムから8万ドルの電信送金を受けて、彼の命を救うために集中治療室に入れ続けた。そうしなければ、彼は郡病院に送られてしまうところだった。その上、彼のマネージャーは三人称で話し、ロールスロイスを持ち、コカインと44マグナムを持ち歩いていた。
僕はそこに滞在し、イングヴェイの曲を受け取り、それに合わせて歌詞を書き、『Odyssey』は大成功を収めた。商業的でありながら、同時に彼のアイデンティティを保っていて、誰が何と言おうと、彼はこのアルバムで素晴らしい演奏をしたと思う。でも、その後、彼は僕と衝突するようになり、僕がバンドに留まることは不可能になったので、僕は先に進んだんだ」
Q:これまでで一番好きなシンガーは誰ですか?
「ポール・ロジャースは僕の中でナンバーワンのシンガーで、今もそうだよ。当時、僕も聴いていたオーティス・レディングから受け継いだソウルがすごくあったので、最初は黒人だと思った。シンガーとしてのポール・ロジャースは、まさにすべてを備えていると思う」