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シン・リジィのスコット・ゴーハム、フィル・ライノットが最も幸せだった時の話や人気曲の逸話、フィルに今伝えたいことを語る

2022/08/23 17:31掲載
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Phil Lynott and Scott Gorham Thin Lizzy 1978.
Phil Lynott and Scott Gorham Thin Lizzy 1978.
シン・リジィ(Thin Lizzy)フィル・ライノット(Phil Lynott)のドキュメンタリー映画『フィル・ライノット:ソングス・フォー・ホワイル・アイム・アウェイ(Phil Lynott: Songs For While I’m Away)』。リリースにあわせ、スコット・ゴーハム(Scott Gorham)はRock Cellar Magazineのインタビューに応じています。ゴーハムはシン・リジィの人気曲「Whiskey in a Jar」「Rosalie」の逸話、シン・リジィの歴史の中でフィルが最も幸せだった時の話、そしてフィルと今再び一緒にいられるとしたら伝えたいことについて話しています。

Q:フィルが「Whiskey in a Jar」の大ヒット曲に少し戸惑っているように見えたのは意外でした。アイルランドのスタンダードを美しく作り直したものです。この曲は、バンドを頂点に押し上げた最初の曲ですが、葛藤があったのでしょうか?

「まあ、それは僕のせいでもあると思う。僕には“Whisky in the Jar”は奇抜な曲に思えたんだ。場違いな感じに思えた。ある日、彼に言ったんだ。“ねえ、Whiskey in the Jarをやめたらどう?あれはオリジナル曲ではない。他の人が作った曲ではなく、自分たちが作ったもので、自分たちの足で立ってみようよ”とね。彼は僕を驚かせた。彼は“問題ない、君の言うとおりだ。捨ててしまおう”と、ほとんど即答で同意してくれた。それで、そうしたんだ。もし、僕がバンドに新しい人を入れて、“スコット、The Boys Are Back in Townはちょっと古いからやめた方がいいんじゃないか”と言われたとしたら、僕は“よし、お前はクビだ”と言うだろうね(笑)」

Q:シン・リジィの代表曲のひとつに、ボブ・シーガーが作曲した「Rosalie」がありますね。この曲はどのようにしてフィルの目に留まったのでしょうか?

「あれは:シン・リジィの5枚目のアルバム『Fighting』に収録されていたと思う。レコード会社が“どうしてもヒット曲が必要だ。君が何を言おうが関係ない。ヒット曲が必要なんだ”と言われて、フィルは本当に頭にきていた。“俺たちはヒット曲を書けるのに、彼らからは“ええ、でも、カヴァーヴァージョンにしましょう”と言われたんだ”。

ボブ・シーガーと全米ツアーをやったことがあって、みんなボブが大好きだった。“Turn the Page”などの曲は最高だったし、毎晩聴いたすべての曲は素晴らしかった。それでフィルがボブ・シーガーのアルバムから〝Rosalie”を聴いて“この曲はいけるぞ”と思ったんだ。

彼の演奏を聴いた僕はレコードプレーヤーを見下ろしながら、彼を振り返って“本当に?(笑)これはないよね。ボブのやっているのはどちらかというとアコースティックな曲だから”と言った。フィルは“いやいやいや、テンポを上げて、違うラインを入れるんだ ”と言っていた。そのアイディアに乗ったのが、ロボ(ブライアン・ロバートソン)だった。理解するのに少し時間がかかったけど、理解したときには、4人とも本当に夢中になったんだ。基本的にこの曲は自分たちのものにしたと思うよ。

ライヴ・アルバムを作ったとき、レコード会社の人が“よし、それぞれの曲のソングライターを全部書いてくれないか?”と言ってきた。“Rosalie”に関しては、すぐに“フィル・ライノット”と書いて、それがそのままリリースされてしまったんだ。

それがそのまま印刷されたあと、“いや、これはボブ・シーガーの曲だよ”と誰かが教えてくれた。僕は“その通りだ”と思った。ボブ・シーガーのところに行って深く謝罪して“お金はもらえます。問題にはなりません”と伝えると彼は笑いながら“心配するな、大丈夫だ。すばらしいね”と言っていた。でもこの出来事は、この曲をどれだけ自分たちの曲だと考えていたかに通じるものがあるんだよ」

Q:あなたから見て、シン・リジィの歴史の中でフィルが最も幸せだったのはどの時期ですか?

「僕が見た中で、おそらく一番幸せだったのはサラが生まれた夜だろうね。僕らはダブリンにいた。キャロラインがサラを出産したのは、午後の遅い時間だった。フィルは“It's A Girl!”と書かれた小さなバンドがついた大量の葉巻を3箱買ってきてくれた。彼と僕はグラフトン・ストリートなどを歩き、彼は箱を開けて“俺は父親だ、葉巻をおごらせてくれ”と言っていた。

それから、一晩中、人々が酒を買い、葉巻を吸っていた。それは、明らかに音楽関連では今まで見た中で一番幸せなことだったかもしれない。僕たちがヒット曲を出すたびに、彼は有頂天になっていた。“どういうわけか、またやってしまった。すごいぞ!”と。ヒット曲や新たなヒット曲があれば、またツアーに出ることができる。フィルが一番幸せだったのは、ツアーに出ることだったと思う」

Q:もしあなたが今、1日だけフィルと再び一緒にいられるとしたら、彼に伝えたい言葉はありますか? 彼に聞いてみたいことはありますか? また、もしフィルと1、2曲一緒に演奏できるとしたら、もう1度一緒に演奏したいと思う曲はどれですか?

「“Emerald”かな。この曲はすべてが含まれている曲だからね。パワーもあるし、歌詞もある。ハーモニー・ギターもかなり入っているし、みんなリード・ギターを弾くことができる。

過去に遡ると、もっと力強くなりたいと思っていた時期があったと思う。それは、僕がドラッグを止めて、1年後には肉体的に完全に健康になっていた時。本当に健康で、フィルもそのことに気づいていた。彼は“もう一度バンドを再結成しなければならない”と話していた。僕は彼を見て“世の中がどれだけ大変か知っているだろう。その状態では外に出られない”と思っていた。

もう少し強く“もうこんなことはやめてくれ。多くの人たちが、特にファンの人たちが、君を頼りにしているんだ。特にファンは、君がまた元気になるのを見たがっている。だから頑張れ。このクソを捨て去れ!”と説明すればよかった。

僕はそうしなかった。フィルは何でもかんでも要求するような人じゃないとわかっていたから、その話題からちょっと目をそらした。彼は自分でやるしかなかった。彼は助けを求めようとしなかった。助けを求めることは、弱さにつながる。それがフィルの欠点だと思うし、そこだけは好きじゃなかった。僕の場合は、誰でもいいから助けてくれる人を探して、このクソみたいな状況から抜け出したかった。

彼を壁に押さえつけて、“こんなことはやめろ”と言えるような男になれればよかったんだけどね。でも、それではうまくいかなかっただろうね」