Ava Cherry / All That Glitters: The Ava Cherry Story
『Young Americans』時代の
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)に大きな影響を与えた、かつてのパートナー、
アヴァ・チェリー(Ava Cherry)。今年、自伝『All That Glitters: The Ava Cherry Story』を発売した彼女が英Classic Rock誌のインタビューの中で、当時のボウイとの関係について語っています。
ボウイとチェリーの出会いは、1973年のニューヨーク、ラジオシティ・ミュージックホールでの2days公演の2日目の夜でした。シカゴ出身のチェリーは当時17歳、ナイトクラブのウェイトレスでした。初めて会ったとき、ボウイは彼女の短く刈られたブロンドの髪に惹かれ、彼女が歌手であるかどうか尋ね、計画されていた日本ツアーでバックシンガーとして歌うようにその場で彼女を招待しました。
「デヴィッドに会ったとき、彼は悪名高かったけど、(私の周りでは)有名ではなかったわ。私は彼が誰かは知っていた。ジェネシスという場所で、私が企画したパーティーがあったんだけど、偉大な人たちがみんなそこにいた。スティーヴィー(ワンダー)、アレサ(フランクリン)、グラディス(ナイト)とかね。デヴィッドは真っ赤な髪で、見事なスーツを着て入ってきた。彼は“僕はデヴィッド。あなたの髪が好きだ。とても反抗的だね”。私は“ええ、あなたによく似ているわね”と言いました」
そこから、ボウイの創作意欲に火をつけるような関係が始まりました。日本公演のバックシンガーとしてチェリーを起用する計画が頓挫したとき、彼女は彼の行方を追うことにしました。
「彼の後を追ってヨーロッパに行き、ホテルに泊めてもらった。その後、ロンドンのオークリー・ストリートにある彼の家に2カ月ほど住んだわ。アンジー(ボウイ)は怖がったけど、彼女のアイデアだったのよ。“家に泊まればいい”ってね」
チェリーは、ボウイに黒人の経験、言語、ファッション、文化に関する本物の情報を提供した。
「ロンドンでは、彼がカルロス(アロマー、ギタリスト)と付き合うようになるずっと前から、ソウル・バンドのアイデアについて話していたのよ。彼は、アレサのような、自分が大好きなアーティストと同じようなソウル・レコードを作りたいと話していた。
彼に父の写真を見せた。父は1940年代にトランペット奏者だった。彼のグループはカウント・ベイシーと一緒に演奏していたのよ。
デヴィッドは“このスーツ。まだ持っている?”と行った。私は父からスーツを借り、デヴィッドはフレディ・バレッティ(ジギーのファッションの多くを手がけたデザイナー)にスーツを作ってもらった。彼は当時、シカゴで女性たちとスローダンスをする黒人男性たちを指す“ザ・ガウスター(The Gouster)”だった。彼らはズートスーツにバギーパンツと小さなジャケットを着ていた」
ボウイがアメリカで『Diamond Dogs』ツアーを行い、フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオでレコーディングを行っている間、チェリーはバックシンガーとしての役割を続けました。
「デヴィッドは最高の人たちに囲まれていた。ルーサー・ヴァンドロス(バッキング・ヴォーカル)は、サウンドに多くの風味を加えてくれた。デヴィッド・サンボーン(サックス)も当時のスーパースターの一人で、超一流のプレイをした」
『Young Americans』に収録されている「Fame」はシングルとしてヒット。ボウイにとって初の全米1位となった。この曲は、エレクトリック・レディでのジョン・レノンとのセッションの後に追加された曲で、アルバムの方向性を変えmした。ジョン・レノン、カルロス・アロマーとの共作で、The Flaresの「Foot Stompin」を録音しようとして頓挫したところから生まれた曲です。ボウイはアロマーが作ったリフの一部を利用してギターとメロディーを追加し、ジョンはアコースティックで演奏した。ボウイはこの曲が「怒りに満ちた曲」であり、ヒットするとは思ってもみなかったと話していました。
チェリーは「この曲は、業界のたわごとを歌っているようなもの」「彼のマネージャーであるトニー・デフリースは、初期にはデヴィッドに良くしてくれていたけど、いくつかの問題を抱えていた。最後の高いバッキング・ヴォーカルは、私がデヴィッドとジョンと一緒にブースで歌いました」と言っています。
『Young Americans』にインスピレーションを与えた一人が、アレサ・フランクリンでした。またジェームス・ブラウンの『Live At The Apollo』もその痕跡を残しています。
「ジェームス・ブラウンは“Fame”のリフは自分のものだと主張しようとした」とチェリーは言っています。この年の終わり、JBは「Fame」のリフを使用したシングル「Hot (I Need to Be Loved, Loved, Loved)」を発表しました。
ボウイがかつてエルヴィス・プレスリーのために書いたものだと明かしていた「Golden Years」。歌詞については、ボウイはチェリーとの最近の別れを思い浮かべたようです。
「この曲を聴いた瞬間、自分のことだとわかった。ベルリンに向かう前の時期、私はデヴィッドと一緒にいたわけではないけど、悲惨な状況だったことは知っている。彼は深刻な金銭問題を抱えていて、ドラッグにどっぷり浸かっていた。私はそれらによって破壊されたと思っていた。どうしたらいいのかわからなくなって、それで関係が終わってしまったのよ。
“Golden Years”を聴いたとき、私はスーパーマーケットにいたんだけど、泣きだしてしまった。私は自分のキャリアを立ち上げるのに苦労していた。デヴィッドは、棚上げにされていたプロジェクトに参加していた。もう一緒にいることはないだろうけど、“信念を失わず、進み続けろ”という彼なりのメッセージだったようです。
彼は、次から次へと経験を重ねていかなければならない生き物で、私の体験は美しく、唯一無二なものでした。でも、彼は次に進まなければならなかった。私は盲目的に恋に落ち、彼のオーラに迷い込んでしまったのです」