シン・リジィ(Thin Lizzy)がブレイク直前の1973年に匿名でリリースしたディープ・パープル(Deep Purple)のカヴァー・アルバム『Play a Tribute to Deep Purple』。なぜ彼らはこのような作品を録音したのか? 英Classic Rockは当時のメンバーやマネージャーから話を聞き、特集しています。
デッカからリリースされたシン・リジィの1stアルバム『Thin Lizzy』(1971年)と2nd『Shades of a Blue Orphanage』(72年)はいずれも商業的に失敗。1972年当時、レーベルは彼らとの契約を終わらせようとしていました。
もう1枚シングルを出せば、それでおしまいでした。フィル・ライノット(Phil Lynott)はこの状況を打破するようなヒットが出ると確信して書いた曲、「Black Boys On The Corner」に自信がありましたが、デッカは納得せず、11月に発売されるシングルのB面になり、その代わりにレーベルは、アイルランドの伝統的なフォークソング「Whiskey In The Jar」のカヴァーをA面にしました。ライノットはこれに激怒したという。
フィル・ライノット、ブライアン・ダウニー、エリック・ベル、そしてエルマー・ファッドのベニー・ホワイトとデイヴ'モジョ'レノックスは、「Fireball」「Black Night」「Strange Kind Of Woman」「Speed King」の計4曲のディープ・パープルのカヴァーを録音しました。彼らはまた、1968年にパープルがヒットさせたジョー・サウスの「Hush」も録音しました。
さらにオリジナル・トラックとして、レオ・ミュラー(別名デヴィッド・L・ミラー)とクレジットされた曲もありました。これはレーベルのボスが印税も含めて受け取れるようにしたものでした。その中には、スタンダード曲「Danny Boy」を即興で演奏した「Dan」や、「House Of The Rising Sun」のカヴァーである「Rising Sun」も含まれています。