Phil Collen (of Def Leppard and Delta Deep) - Digital Tour Bus - GEAR MASTERS Ep. 195
デフ・レパード(Def Leppard)の
フィル・コリン(Phil Collen)は、1991年にバンドメイトの
スティーヴ・クラーク(Steve Clark)が亡くなった後、バンドを辞めることを真剣に考えていたという。Ultimate Classic Rockのインタビューの中で、当時のことを振り返っています。
バンドは一丸となってアルバム『Adrenalize』の制作を進めることを選びましたが、コリンは不安を感じていました。
「本当に奇妙な時期だった。スティーヴが亡くなったばかりだったからね。僕たちはスティーヴと一緒にいくつかの曲を書いていたから、ちょっと変な感じだったんだ。当時は本当に続けたいとは思っていなかったんだ」
最終的にコリンを説得したのは、デフ・レパードのフロントマンである
ジョー・エリオット(Joe Elliott)でした。
「ジョーに説得されたんだ。彼は“分かるよ。でも、これらの曲はすべてスティーヴと一緒に書いたものだ。それには意味があるんだよ。スティーヴへのトリビュートみたいなアルバムになるだろうね”と言っていた。そのとおりだった」
さらにコリンは、1992年にリリースされて成功を収めたこのアルバムについて、「多くの奇妙な感情」を抱いていたことを認めています。
「公開されてすぐに全米で1位になったんだけど、その時はロス暴動の最中だった。かなり暗い時代だったんだ。奇妙なことがたくさん起こっていた。そういうのを全部覚えているんだよ」
コリンは『Adenalize』を『Pyromania』と『Hysteria』に続く「3部作の第3部」と表現していますが、彼は92年にはもっと実験的な『Slang』をリリースした方がよかったかもしれないと思っています。
「今にして思えば、『Hysteria』の直後に『Slang』を作るべきだったんだ。というのも、あれを超えることはできないからね。
あのスタイルの別のアルバムは、振り返ってみると、間違いだったとは言いたくないけど、今だったら根本的に違うことをやっていたんじゃないかと思う。『Slang』は『Hysteria』に続く素晴らしい作品になっていただろうね。そして、その後に『Adrenalize』をやるかもしれない。でもね、当時はすべてが変わっていたんだ。ニルヴァーナとか、その他いろいろとね」