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デヴィッド・ボウイ『Low』45周年記念 トニー・ヴィスコンティが同作を振り返る

2022/01/17 01:19掲載
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David Bowie / Low
David Bowie / Low
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)が1977年1月14日にリリースしたアルバム『Low』。発売45周年を祝して同作をボウイと共にプロデュースしたトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)が、このアルバムについて振り返っています。

「45年前、デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノとの長い電話会議の後、ロンドンからパリに飛んで、田舎のとても古い城で新しいアルバムをレコーディングする手配をした。 こうして、(デヴィッドにとって)とても奇妙なアルバム『Low』の制作が始まった。“君は何を持ってくるのか”と聞かれたので“時間の構造を変える”新しいオーディオの武器を持ってくると答えた。それは、ヨーロッパに2台しかないもののうちの1台だったので、とても慎重に梱包した。それが『Eventide Harmonizer H910』だ。地球上で最も恐ろしいスネアドラムの音を生み出すのに役立っただけでなく、アルバムのB面、ブライアン・イーノにインスパイアされたアンビエント・ミュージックにも広く使用された。何人ものレコード・プロデューサーの友人が、どうやってこのスネア・サウンドを得たのかと尋ねてきたが、僕はこの小さな秘密を少なくとも6ヶ月間は守り通した。その頃には、さらに多くの『Eventide Harmonizer』がヨーロッパにも入ってきていた。

メロディーも歌詞もない曲のバックトラックを作るという難しい流れに乗ってくれた素晴らしいミュージシャンたちに感謝しなければならない。1週間もかからなかった。そのミュージシャンは、カルロス・アロマー、ジョージ・マレー、デニス・デイヴィス、ロイ・ヤング、リッキー・ガーディナー、そしてゲストとしてメリー・ホプキン(私の妻)とイギー・ポップがバッキング・ヴォーカルとして参加している。アルバムはベルリンのハンザ・スタジオに移動してミックスされた。 エンジニアにはB面でチェロを弾いていたエドゥ・メイヤーを起用した。

このアルバムが音楽界に与えたインパクトは、畏敬の念と賛否両論を巻き起こした。評論家もアーティストも二極化したが、ポップ/ロックの特徴を津波のように変えてしまった。誕生日おめでとう、『Low』」